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大阪・兵庫02 弱法師(よろぼし) 〜狂乱物の代表曲〜

 〈あらすじ〉 河内国高安の里に住む左衛門通俊は、ある人の讒言(ざんげん)により、わが子の俊徳丸を勘当してしまった。後に後悔し、罪滅ぼしに、四天王寺で施行(せぎょう=貧しい人への施し)を行っていると、弱法師と呼ばれる盲目の青年がやってきて、施行を受ける。2人は寺の縁起などを語り合い、日暮れには日想観(じっそうかん)を拝む。父は我が子と気付いて名乗り、我が身を恥じて逃げようとする俊徳丸の手を取り、故郷に連れて帰る。

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 この謡曲は、高安地方に古くから伝わる逸話と、四天王寺の日想観を結び付けた創作劇。狂乱物の代表的な曲として親しまれている。


 この寺院は聖徳太子が593年に創建したもので、奈良の法隆寺とともに、我が国最古の寺院とされている。宗派を問わず信仰され、乞食や病人が最後にすがる「聖地」として集まってきた。


 当寺院の西門が極楽浄土の東門と向かい合っていると信じられ、太陽が真西に沈む彼岸の中日に、西門から沈む夕日を拝む-という日想観信仰が平安時代から盛んになった。当時は西門前まで大阪湾の海だったといい、海面に沈んでいく夕日を眺めて感激した。


 謡曲では、盲目の俊徳丸も西門前の石の鳥居の下に立ち、かつて少年のころに眺めた難波の浦や住吉の松、さらに淡路島の山、須磨明石の海まで思い浮かべる。「満目青山は心にあり、おう、見るぞとよ」と叫び、心の中で風景を見て感動する。だが、再びよろめいて狂い出すのだった。


 四天王寺へは地下鉄御堂筋線で天王寺駅下車。方角が分からないのでタクシーで西門前に横付けした。謡曲に登場する大きな石の鳥居がそびえ、横に「大日本仏法最初四天王寺」と刻んだ巨大な石柱が立っていた。


 当寺院は創建以来、火災、再建の繰り返し。先の大戦の空襲で壊滅状態となった。それを戦後、創建時の飛鳥様式に倣って再建した。南から仁王門、五重塔、金堂、講堂と一直線に並んでおり、わずかに残った六時堂や石舞台が重要文化財に指定されている。


 四天王寺では現在も春、秋の彼岸の中日に、日想観法要を行っている。全国から3000人もの参拝者が詰めかけ、石の鳥居の真ん中に沈む夕日を一斉に拝む。


 善光寺でも今年の3月20日の彼岸に、日想観を民間で行うというので参加した。こちらは本堂前から経蔵の真上に沈む夕日を参拝するもの。30人ほど集まったが、残念ながら曇り空で空振りだった。


 ならば俊徳丸に倣って心眼で。一人で本堂に立ち、真っ赤に燃える夕日を心に描き、いずれお世話になるであろう浄土に向かって、手を合わせた。

(2013年8月3日号掲載)


=写真=四天王寺西門の石の鳥居

 
謡跡めぐり