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01 成り立ち(上)~善光寺地震の被害を筆録

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 『むし倉日記』は1847(弘化4)年3月、信越地方を襲った大震災(善光寺地震)についての松代藩の月番家老・河原綱徳(つなのり)の手記である。全4巻から成り、その内容は、災害の最も激しかった松代領内を中心に、南は松本藩から北は越中の富山藩領に至る範囲の被害状況と、岩倉山崩壊による犀川の湛水と決壊の顛末を筆録している。

 付録の「虫倉後記」1巻は、54(嘉永7)年11月の東海道沿線から松代地域に及んだ震災記だ。これら全てが河原綱徳の筆録である。
 1931(昭和6)年刊の信濃教育会編『河原綱徳稿弘化震災記 むしくら日記』の巻末には、河原綱徳の人となりと本書の概要、特色を次のように記している。

 河原綱徳はまたの呼び名を舎人、君山(くんざん)、円柱などと名乗った。用人から旗奉行、中老、城代を経て500石取りの家老職へと出世した。いわばたたき上げの苦労人だった。
 かつては藩主の命により、『真田家御事蹟稿』100余巻を編述し、真田氏の治世の歴史を明らかにした歴史家であった。そのほか、随筆類の稿本も多く残しており、当時松代藩きっての能筆家といわれていた。
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 したがって『むし倉日記』は、情報収集の豊かさや取材の正確さにおいて他に比類がない。しかも叙述が客観的で生々しく、震災記録として稀有の研究資料で、読み物としても高い評価を得ている。
 原本は県内にただ一冊しかなく、郷土史家だった米山一政氏の遺族の寄贈本が長野県立歴史館に所蔵されている。その書体を見ると、河原綱徳による行書体の清書であることが明白である。
 (駒込幸典・元『長野市誌』近現代史部会長)

写真上=県立歴史館所蔵の「むし倉日記」

写真下=手記に名付けられた長野市の虫倉山