
善光寺参道のお店は大半が土蔵や蔵造りだ。ところが一軒だけおしゃれなれんが造りで異彩を放つのが大門町のレストラン「楽茶れんが館」=写真。2階は草木染めファッション店兼イベントスペースになっている。
この通称「れんが館」は信州独特の運輸業の歴史を秘めている。実は、宅配便のルーツは信州の「中馬(ちゅうま)」なのだ。
「宅配便は昭和50年代、クロネコのヤマト運輸が起業した」という話をよく聞くが...。
江戸時代中期、南北に長い信州では牛馬を使った運送業が発展した。「田起こしや田植えが済んで暇になるから、手元で飼っている牛馬で近在の荷物を運び駄,だ賃,ちん稼ぎをしよう」と知恵のある農民が発想した。"手馬稼ぎ"の「てうま」がなまって「ちゅうま」になった。
奈良・平安の律令時代以降、運送は宿駅と宿駅をつなぐ「伝,てん馬,ま」が公的制度だった。ところが、てうまは「玄関から玄関まで24時間いつでも運びましょう」がキャッチフレーズ。ドア・ツー・ドアの宅配だった。信濃の歴史では「明和元(1764)年の中馬裁許」が知られ、徳川幕府の公認を得るまでに発展した。
文化・文政から明治初期まで、運送は中馬が全盛となった。れんが館も善光寺町の有力者で町年寄の中沢与左衛門が建てた共同中牛馬会社の遺構だ。江戸にセンターを置き、全国の運輸を支配する構想だった。
ところが高速道と大型トラックを欠く中馬は近代化の先兵・鉄道に敗北。おしゃれなれんが館だけが残り、長野市の物産館になったり、郵便局舎になったり。現在は地元の街開発三セク(官民組織)が借用したりと、時代の波に翻弄ろうされている。
今、宅配業界は戦国時代だ。クロネコが有力かと思えば、ペリカンや飛脚マークの佐川急便と激戦を繰り広げている。佐川は女性ドライバーも大勢採用、玄関先で警戒されないイメージ戦略を加えて人気急上昇だ。
善光寺大本願の中心、本誓殿に参拝して驚いた。背丈ほどもある黒御影石の背面に寄進発願主として「佐川急便グループ創業者 佐川清」とはっきり刻印されている。
佐川清氏(1922~2002)は上越市板倉区の旧家に生まれ、日通に並ぶ運輸会社を育て、日本の高度成長を支えた。一方、巨額資金による政界工作で政治スキャンダルに発展した1990年代初めの「東京佐川急便事件」は記憶に新しい。
台湾ヒノキをふんだんに使った豪華な本誓殿は、建築費がどのくらいかかったか明らかにされていない。上越は善光寺信仰に熱心な土地柄。佐川氏はどんな思いでどのくらいの喜捨をしたのか興味深い。寄進の詳細は寺社が厳守する、信者のプライバシーだ。