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17 イラン登山協会 ~友好深め緊密な絆 合同登山計画始動~

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 イランで登頂を計画したのは、イラクとの国境からペルシャ湾まで約1500キロに及ぶザクロス山脈です。砂漠の真ん中に5000メートル級の山々が連なっています。登山許可を得るためにイラン登山協会のサデリアン会長を訪ねると、「暑い所なので気をつけて」とガイドを付けてくれました。

 日本のような島国での登山は趣味ですが、大陸の国々ではそうはいきません。西アジア探検登山隊から9年後の1980年から8年間に及び大きな犠牲を出したイラン・イラク戦争が勃発します。国境に近いザクロス山脈一帯は激しい戦闘の舞台でした。山は国防上の重要拠点なのです。サデリアン会長は、当時のパーレビ王朝下の将軍で国防次官という要人でもありました。

登頂成功し達成感
 長大なザクロス山脈の中央部で、5000メートル弱の高峰群が私たちの目標でした。隊員10人を3つのパーティーに分けて5つの山にアタックしました。灼熱(しゃくねつ)の砂漠が40度以上なのに、山には氷河がある自然の神秘に驚き、荷物運びに雇った馬方とのコミュニケーションに四苦八苦しながらも、初登頂あり、大岩壁の登攀(とうはん)にも成功して、私たちは大きな達成感と感動に浸りながら帰路に就きました。

 帰国後は新聞連載の探検記が話題になり、車を提供した日産サニー長野も大喜び。東京からオープンカーを取り寄せ、私たちはそれに乗せられて華やかな鼓笛隊に囲まれ、中央通りをパレードするという愉快な経験までさせていただきました。

 イランとの友好関係も深まりました。私たちの登山隊の直前にはイランの最高峰ダマバント山の頂上からスキーで滑降に成功するなどイランとの付き合いは始まっていましたし、親日的で勇敢さをたたえる気風の強いことから心の通じ合いがありました。そこで次は、私たちがイラン登山協会事務局長で数々の登頂記録を持つ登山家のアデリさんを長野に招くことにしました。

 市内のスポーツ店の2階を借りて3カ月ほど滞在する間には、恋愛騒動というハラハラする場面もありましたが、イランとの絆はさらに緊密になりました。ちなみにアデリさんは、イラクとの戦争が始まると母国を脱出、家族を連れてヨーロッパを転々とするうちに食い詰めてしまい支援依頼が来たので、仲間で少なからぬカンパを送りました。

イラン将軍が長野に
 73(昭和48)年にはサデリアン将軍が来長しました。彼はイラン王立地理学会長でもあり、韓国で開催の国際地理学会に参加するついでに足を延ばしてくれたのです。富士登山は悪天候に阻まれてしまいましたが、秋の北八ケ岳や戸隠高原を楽しんでいただき、見送る長野駅での吉沢一郎先輩の一言が壮大なプロジェクトの幕開けとなりました。

 「長野とイランの合同でヒマラヤをやりましょう」の一言です。私たちの仲間内の漠然とした希望を口にしたのですが、なんと将軍は「やりましょう」と即答でした。驚く私たちに「私がやると言えば、それはやるということです」と念押しまでされました。

 時はちょうど石油ショック。日本政府にとって、産油国イランとの関係は非常に重要でした。ザクロス山脈登山を仲介してくれたイラン三井物産は、日本の国策事業ともいえるイランとの合弁プロジェクトを成功させるために奔走中。そんなわけで外務・通産・文部省も三井物産も後押しするヒマラヤ合同登山計画が動き出すことになりました。
(2013年9月7日号掲載)

=写真=オープンカーでパレード。左から吉沢一郎さん、自動車隊長を務めた松本清一さん、私
 
田村宣紀(のぶよし)さん