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031 スペイン トレド ~測りしれない歴史の重み~

  
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 スペイン人は「トレドを訪れずしてスペインを語るなかれ」という。首都マドリードから南へ70キロ。タホ川に東西南の三方を囲まれた中世の岩山の城砦(じょうさい)都市でもある。

 安土桃山時代に、日本のヨーロッパ使節団がトレドにいっとき滞在し、その高い文化水準に驚いたという記録が残っている。

 16世紀に首都がマドリードに移るまで中世スペインの中心地であったこと、この起源は石器時代にさかのぼるなど、歴史的重さは測りしれない。こんな輝かしい歴史を持つトレドが歴史の舞台に登場するのは、ここにローマ帝国が紀元前190年に都市を築いてから。天然の要塞(ようさい)として難攻不落に見える地理的条件を備えていることから、多くの民族の奪い合いの舞台にもなってきた。後には西ゴート王国の首都になったかと思えば、勢力拡張を狙うイスラム帝国の軍門に下るなど、強国の支配に翻弄(ほんろう)された。

 キリスト教にとってイスラム支配からの失地回復運動(レコンキスタ)が実現したのが1085年。支配者が代わっても、文化の色は複雑に融合して当時のままに残っている。

 敵を欺くためのアラブ・イスラム的な迷路の通り。タホ川に架かる2本だけの橋(現在は3本)、9世紀に造られた門や教会にゴシック、ルネサンス、バロック、ネオクラシックからイスラムのムデハル様式に至るまで、様々な様式がそのまま残されている。その貴重な薫り高い文化に1986年に街全体が世界遺産の登録となった。

 このトレドが、イタリア・ルネサンスのキーワードになっていることは、意外に知られていない。プラトンをはじめギリシャの哲学や芸術がアレキサンドリアを経てトレドでラテン語に重訳された。ここには多くのラテン語重訳の翻訳者がいたという。それがイタリアをはじめとする西ヨーロッパに入った。

 イタリア・ルネサンスの始まりはメディチ家が主唱した新プラトン主義、つまりギリシャ哲学の見直しだったのだ。その意味でもトレドは大きな影響を与えていた。

 私がヨーロッパ三指の絶景としているのはこの街の全体を見下ろす高台からの眺めだ。南の丘にある国営宿泊施設パラドール・デ・トレドからの筆舌に尽くしがたい景色。私たちはここに宿泊することはなかったが、ここのレストランのテラスから、パラドールのロゴ入りの白いカップでコーヒーをすすりながら、眼下に広がるトレドの全景=写真=を見ながら、長年の夢を一つ実現した喜びに一人浸っていた。
(2013年9月7日号掲載)
 
ヨーロッパ美の旅