宮にめされしうき名はづかし 曽良
手枕(たまくら)にほそきかひなをさし入れて 芭蕉
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〈身分の高い方のお相手に呼び出され、悪いうわさ話になったのが恥ずかしい〉
〈ほっそりした腕をその人の手枕(てまくら)として差し入れたのだね〉
現代の言葉に直すならば、こんな意味になるだろうか。そそとした悲愁の風情であり、そしてまた色っぽい。

中でも「手枕にほそきかひなを」という具体的な描写が、繊細で品のよい女性のしぐさを想像させる。まかり間違えれば逆に、いやらしくなるところだ。そこをひたむきな心根への共鳴、同情に高めている。
それにしても「俳聖」とまでたたえられる松尾芭蕉ではないか。それが、ここまできわどい句を詠んでいることに驚かざるを得ない。
芭蕉というと、旅の人である。その文学の神髄は、閑寂で枯れた趣の「さび」である。細やかな余情を醸す「しをり」である。さらには対象に深く感じ入る「ほそみ」である。
枯淡、高雅な詩情の一方で、人間くさい対照的な世界を、巧みに操ってみせたのが恋句だ。詩人としての懐の深さが、ここには、くっきりと浮かび上がっている。驚きは、そのまま敬服へと変わった。
しかも、この恋句ができた時と場所が興味深い。日本を代表する紀行文学『おくのほそ道』の旅をする途中でだった。とはいっても『おくのほそ道』の本文に恋句は出てこない。
1689(元禄2)年の旧暦3月27日、江戸を出立。4月22日、福島県の須賀川に着く。土地の有力者で俳人の歓待に応えつつ、一句詠んだ折のことだ。
風流の初(はじめ)やおくの田植うた
〈奥州に入って耳にした素朴な田植え歌が、今回の旅の最初の風流だったよ〉
この句を発句として連句3巻を作った、とだけ記している。
翌日開かれた連句の会。芭蕉の句「風流の...」を皮切りに詠み進んでいき、24句目に同行の曽良が「宮にめされしうき名はづかし」と発した。これに対し、芭蕉が「手枕にほそきかひなをさし入れて」と応じたのだった。

ところで曽良は、信州、上諏訪に生まれた。芭蕉より5歳年下の門人だ。江戸深川の芭蕉庵近くに住み、師の日常生活を支えた。
この前年、芭蕉は中秋の名月を姨捨で眺めようと『更科紀行』の旅をしている。これが約5カ月間、2400キロに及ぶ『おくのほそ道』へつながる。信州の人と風土が旅心を培ったのだ。
月影や四門四宗も只(ただ)一ツ
善光寺で詠んだ『更科紀行』の一句。これを刻んだ句碑が善光寺大本願や城山の彦神別(ひこかみわけ)神社、往生寺にある。訪ね歩き、恋句の名手ともされる芭蕉の多彩な足跡に圧倒された。
(2013年9月7日号掲載)
〔連句〕ふつう2人以上で長句(5・7・5)と短句(7・7)を繰り返していく。全体で36句(歌仙)、50句、100句などにまとめる文芸。冒頭の発句が独立して俳句となった。
=写真=彦神別神社境内の芭蕉月影碑