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19 やまびこ国体 ~山岳競技で重責担う 採点には疑問感じる~

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 「やまびこ国体」と名付けた第33回国民体育大会が1978(昭和53)年、松本を主会場に県内で開催されました。開催県として、総合優勝に当たる「天皇杯」「皇后杯」を逃すわけにいきません。体育関係者は選手強化と大会準備に大忙しでした。

 国体の山岳競技は「オープン競技」といって、それまで得点には反映されていませんでした。日本山岳協会(日山協)はこれを得点種目に移行させることを決め、長野国体を種目や種別、採点方法を確立させるテストケースと位置付けました。そのため運営母体の長野県山岳協会(県山協)は重責を担うことになりました。
県山協理事長として

 この時期に私は県山協の理事長に就任。縦走・踏査・登攀(とうはん)の3種目の審判資格を会員に取得してもらうのも急務なら、会場を戸隠山系と決め、戸隠・鬼無里・小川・中条の4村(当時)と信濃町に協力をお願いし、コースづくりにも奔走しました。

 大会運営は大成功でした。長野県チームは全種目で優勝を果たし、関係者一同大喜びでしたが、私には釈然としない気持ちがくすぶっていました。山岳地帯で行う競技を、採点することへの疑問です。

 私も各地で審判を務めたのですが、例えば縦走競技は速さを競うほか、藪の中に隠れていて足を滑らせた選手を減点します。競技は3日間に分けて行うので、雨の日に当たったチームは完全に不利。スポーツに欠かせない観客もゼロ。藪の中で、こっそり採点するのは公平だろうか。そもそも縦走を速さで競うこと自体、危険ではないのか。審判の負担も大きく、3日で5キロ痩せた人もいました。

 これらの疑問を感じながら2年後の栃木大会を迎えました。ここから山岳競技も得点競技へ移行。優勝は開催県・栃木でした。実は山岳競技で開催県が勝つのは半ば当然です。審判が潜む場所を決めるのも、「踏査」というオリエンテーリングに似た競技でチェックポイントを正確に知るのも開催県ですから...。

 このような性格の、世界にも類を見ない山岳種目を国体で続けているころ、ヨーロッパでは人工壁で行うスポーツ・クライミングが普及し、日本にも波及してきました。

 そんな潮流の中、私は県山協の会長になり、91年には日山協常務理事に任命され、競技登山改革の担当になりました。会長の諮問機関として設置した「競技登山審議会」で、私たちは「国体山岳競技会はスポーツ・クライミングをもって実施することが望ましい」という劇的な答申を出しました。

 改革に守旧派抵抗
 答申の発表前に共同通信がすっぱ抜いて地方紙に配信されたものですから、「田村が漏らした」との声が出て、つるし上げをくらいました。出どころは私ではありません。それより大変だったのは、守旧派の強力な抵抗です。何が何でも改革には反対。今でもその方々の顔が浮かびます。

 クライミングはインドアですから採点は公平。観客も楽しい。誰でも参入できる普遍性もあり、世界にも通用する。それでも反対する理由が理解できないまま、答申はお蔵入りとなりました。国体を主催する日本体育協会が「天の声」を発して変更になったのは、なんと2008年です。

 スポーツ・クライミングは今やオリンピック種目の候補にも挙がり、選手は賞金で生活できるほど人気です。日山協の内部から改革できなかったのは残念ですが、私はせめて国体競技は日山協の管轄下に留めるよう努力し、これは成功しました。
(2013年9月21日号掲載)

=写真=国体で実施されるようになったクライミング
 
田村宣紀(のぶよし)さん