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03 地震発生時 ~塀や家が倒れる土煙と音~

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 これより『むし倉日記』の中から、大激震の発生時の状況を記録した「元(げん)」章、湛水を支えていた堤防が一挙に決壊して被害をもたらした様子を描写した「亨(こう)」章などの中から重要と思われる部分を意訳、要約して紹介する。

 さらに「利(り)」「貞(てい)」の巻からや、全巻中より大地震のリアルで特色ある記述を追加した元・亨・利・貞は4冊本の書物の順序を表す語)。

    ◇

 1847(弘化4)年324日夜の10時少し過ぎ、それこそ大きな地震があった。急いで登城しようとして「非常服を取り出せ」と言う間もなく、行燈も消え暗闇の中をよろけながら歩こうとしたが、3回も転倒した。

 表から吉沢兵左衛門がろうそくを燃やしてきたので、足を踏ん張って身支度をし、障子を押し開いて星明かりを頼りに外を見れば、霧や煙のようなもので辺りが一面に覆われていた。これは後ほど、南の塀が倒れたときの土煙だと分かった。

 さて東から北にかけての方角で瓦が落下し、びしびしと物音を立てている。全く肝を冷やす思いだ。これは伊勢町、中町、肴町辺りの家が倒れる音だった。戸障子が外れているのを踏み越え飛び越えて玄関に出ると、勘定吟味の片岡此面がやってきた。「ほかの方はどうなっているか」と聞いたところ、「馬場町よりここまでは詳しいことは分かりませんが、先の物音では、町方は大かたつぶれたことでしょう」と答えた。

 「それではお城はどうなったか」と夢中で駈け出したところ、大目付の海野蔵王の玄関も長屋もつぶれて、下から星が見えるというありさまである。

 望月貫悲子の新屋敷の塀をはじめとして鎌原、玉川、池田など各家の塀はみな倒れていた。地震はすきなく次々と襲いかかって、恩田貫実子の門も今にも倒れそうになっている。

 城の大御門のそばへ行くと、いまだにくぐり門が開いており、大門は閉ざされている。「早く開けよ」と命じたが「先の大揺れで傾き、開けることができません」と言う。しかたがないので、駈け込んで中ノ口まで行くと、ご玄関の庇(ひさし)は、はやくも崩れ落ちていた。

2013928日号掲載)

 
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