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04 登城 ~あちこちから火 空が赤く~

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 それで私が「政堂」へ行くと、家老の恩田貫実子は早々と登城していた。殿様はどうなさったかと、御次の間へ行ったところ、「お庭へ立ち退かれてご無事です」と聞いてやや安心し、急いでお庭へ走り下った。そして「ご機嫌いかがですか」と申して「政堂」に戻った。

 そのうちにだんだんと諸役人も出勤して来て、ご機嫌うかがいをした。私はこの月の月番だったので、所定の座席に座っていたが、余震のたびに震動で壁土がばらばらと落ちてくるので、壁際から1畳ばかり離れて座った。

 その間も引き続いて地震による被害の報告が来た。その中には次のようなものがあった。

 「町方ではつぶれた家屋が多数で、死人も多く出た」「家の下敷きになり、埋もれて泣き叫ぶ者多数。至急、救助されたい」

 そこで諸役人を招集して、救助の仕方や火の用心などについて、それぞれ指示した。

 江戸幕府へは、災害の状況報告書をしたためて早飛脚に渡したのが午前2時過ぎであった。これまでも幾度か鳴動があり、ただその震動に任すほかなく、大書院の庇(ひさし)の瓦もガラガラと崩れ落ちた。このように震い続けたのではお城も危ないのではと思い、御馬場に出てみた。すると、座敷見回り係の宮入多平の計らいで、葉桜の下にむしろを敷いて皆が円陣をつくって座っているのだった。

 折から至るところ、あちこちから火の手が上がっている。西の空が大変に赤かったので土手に上って眺めると、西山手から北山手にかけて7カ所ほどが盛んに燃えている。

 このうち、北の方の善光寺の辺りと南の方の稲荷山の辺りの火が特に激しく、すさまじかった。そのほかは明け方までにだんだんに消えていった。

 先に賄いの炊き出しをせよと役人に申しておいたため、御馬場の2カ所に大釜が据えられて炊き出したので、西の土手まで真昼のように明るくなった。程なく夜が明けたが地震はやむことなく揺れ続け、その回数は200回を超した。

(2013年10月19日号掲載)