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032 スペイン エル・グレコ ~信念を貫き通して名声~

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 首都がマドリードに移されるまでの首都だったトレドで欠かせない画家がいる。生まれたのが1541年だから、ミケランジェロがバチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」を完成させた年である。

 彼の名はドメニコス・テオトコプーロス。36歳のころにトレドに移住。出身地がギリシャのクレタ島だったため、ギリシャ人という意味の俗称"エル・グレコ"と呼ばれた。

 マドリードに首都が移ったトレドは、巨匠を求めていた。栄華は過ぎ去ったとはいえ、かつての栄光を失いたくはなかった。そこにグレコは目を付けた。宗教絵画の奥義を極めようと野心満々だった。

 クレタ島は当時、ベネチアの領地であったから、光と陰や色彩にこだわるベネチア派の影響が濃い。

 また、聖書に忠実であることを求められたのにグレコの宗教画は独創的であり過ぎた。ルネサンス最後の画家といわれるパルミジャニーノの「長い首の聖母」は、長く上下に引き伸ばされたようなマニエリスムという手法を採用した。この画家は、くしくもグレコが誕生する前の年に他界している。

 激しいデフォルメと黄色や赤の強烈な色彩を特徴とするグレコの画風は、異端のレッテルを貼られたこともある。

 しかし、グレコはひるまなかった。自分の信念を貫き通し次第に名声を博することになる。38歳の時に大作「聖衣剥奪」を完成。この聖衣が深紅で、ベネチア派の影響をもろに受けている。当時の教会の希望する色彩にはそぐわず、教会とひと悶着(もんちゃく)があったほどだ。

 現在はトレド大聖堂の聖具室に飾られているが、皮肉にも一番の人気作となっている。

59歳で「トレド風景」を描く。トレドのかつての栄光と厳しい現実を象徴的に描いた西欧史風景画史上の名作だ。

 グレコの真骨頂は聖母子などの慈愛に満ちた表情だ。こんな話がある。アメリカにもトレドという小さな町があり、市長が1986年に何年もの交渉の末、清涼飲料会社の援助でグレコ展を開いた。なんの縁もゆかりもないが、アメリカにはたくさんのグレコの作品がある。それほどの人気画家だ。

 トレドには、グレコの家もあり、病院や教会、修道院に多くのグレコの傑作があるが、私の最高のお気に入りは、岡山県倉敷市の大原美術館にある「受胎告知」だ。大天使ガブリエル(右)の指や横顔の表情。マリアの目や精霊を意味するハトからの光の放射など、厳粛な情感が漂っている。こんな作品が日本にあるなんて、当時の関係者の目が肥えていたのに驚かされる。我が国の誇りの美術館作品だ。

2013928日号掲載)

=写真=エル・グレコ「受胎告知」(大原美術館所蔵)

 
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