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044 東歌 ~月光が奏でる恋のときめき~

 彼(か)の子(こ)ろと 寝ずやなりなむ はだ薄(すすき) 宇良野(うらの)の山に 月(つく)片寄るも (万葉集巻14・東歌)    
            ◇
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 まだどこか、青臭さを宿した青年ではないだろうか。ひたすら待つ身がいじらしい。

 2時間、3時間。4時間、5時間...。ススキの穂が揺れる原っぱに独り、じっと立ち尽くす姿が目に浮かぶ。

 恋しい女性が現れるのを、今か今かと目を凝らし、耳を澄ましているのだ。

 静かに月の光が降り注いでいる。青年は面を上げ、空を仰いだ。

 ああ、今夜もかわいいあの彼女と寝ることができないまま、終わってしまうのか。ススキがなびくかなた、浦野の山に月が傾き、夜が明けようとしているよ。

 東歌の一首には、こんな意味が込められている。「彼の子ろ」の「ろ」は親愛を示す接尾語であり、いとしくてならない間柄を表す。当時、そんなカップルが月明かりの下、木陰や草陰で一夜を共にすることは、珍しいことではなかった。

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 「はだ薄」の解釈は明確には定まっていない。穂が出始めるころのススキのことで、その穂先「うら」と同音の「宇良野」にかかる枕詞とする説が多い。

 とはいえ、全く意味のない修飾語ではあるまい。ぼうぼうとススキが生い茂った光景を連想させる効果がある。月に照らされたススキの原が、思いかなわない若者の傷心を、なおのこと際立てている。
「宇良野の山」もどこを指すのか、断定するには至っていない。松本平と塩田平を隔てる保福寺峠から下ったところに、古代の街道、東山道の宿場である浦野駅(うらののうまや)があった。今の小県郡青木村と上田市の境辺りだ。「宇良野」はこことする説が強い。

 そうであるならば―と思い立ち、しなの鉄道上田駅からバスに乗った。2キロほど手前で降りて浦野川の北、山裾の道を西へたどる。

 戦国の世、信濃へ進出した武田勢が拠点とした岡城址など街道筋を巡りながら、浦野宿に着いた。この東歌を刻んだ歌碑もある。

 なるほどな...と納得する思いだった。夫神岳(おがみだけ)や十観山、子檀嶺岳(こまゆみだけ)といった標高1200メートル余りの山々が西に連なり、眺めもいい。

 ここら辺りならば西側の山に近づいた月を見上げるのに、格好の所だ。ススキの原こそ見当たらないけれども、稲穂やコスモスの花が揺れていた。

 それにしても一首が醸し出す心地の良い響きには、うっとりさせられる。「つく」は月の古い詠み方だ。「つき」と発するよりも、ぐっと和らいだ印象がある。

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 恋心にもだえる若者が小さな点であるならば、月の光を浴びた山や草木、つまり大きな自然が、すっぽりと包み込む。あいびきという人間男女の行為が、大自然の中の、一つの現象になっている。

 これこそ万葉集の歌が持つ野性的な生命力にほかなるまい。

 〔東山道〕古代の律令制度下、中央政府が設けた官道の一つ。人や物資の移動を迅速にし、地方への支配を強めようとした。近江から美濃、飛騨を経て信濃に入り、碓氷(うすい)峠から群馬、東北へと向かっていた。
(2013年10月19日号掲載)

=写真1=上田市浦野から眺める子檀嶺岳
=写真2=東歌を刻んだ歌碑

 
愛と感動の信濃路詩紀行