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65 寄贈資料~展示施設なく非公開

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 象山が京都に出向く時、常宿にしていた家が千曲市桑原にあり、遺墨、手紙類が残っていた。象山資料を展示する「伴月楼」の看板が一時掛かっていたが、10年前、全ての資料が同市文化財センターに寄贈されている。

 県文化財専門委員の故米山一政さんが作成した「佐久間象山墨跡及び書簡調書」によると、資料は、1986(昭和61)年1月に同市指定有形文化財となり、所有者は同市教育委員会。旧所蔵者は関章さん。同市には展示施設がなく、象山資料は非公開となっている。

 内容は象山が揮毫した▽六曲屏風半双(五言律詩、七言絶句など六つの句を含む)▽漢詩を書いた掛幅12幅▽呉湾(象山の号)が関契丈宛に送った書簡14通(暑中見舞いに焼酎一樽を贈られた礼状と併せ、小銃が出来上がった旨を書き送った書状)など26点に上る。

 資料を寄付した関家は、曽祖父(通称・新右衛門、幼名・要朔、長じて要作)が象山と一つ違いで学問を志し、松代藩士を務め名字を名乗ることを許された。

 象山も何回か関家を訪問し交際が盛んとなり、金銭を立て替えてもらう「用立」も多かった。そのため象山の書簡と墨跡を多く所蔵し、ひ孫の章さんに伝わった。

 象山の遺墨には贋作が多いが、偽作には落款、印章が整っているのが一般的。千曲市の象山資料はやや粗放と見られるものがある。

 落款に印章がなく、首尾整わないものが見られるが用紙が一定で、象山自身、会心の作ではないと思っていたものがあり、印章を押さずほごにするつもりだったとみられる。
 この点から判断すると、関家からの象山資料は真跡であるといえ、米山さんは「貴重な歴史資料だ」と指摘している。

写真:書簡の1通
 
象山余聞