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21 「松本事件」 ~対応に中国側が反発 アルピニストシンポ~

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 中国登山協会との合同研修会が軌道に乗ると内容もより高度な高所登山に向かい、1986年の第6回では標高7553メートルのチャンツェ峰の登頂に成功しました。

 この年の4月、私は県山岳協会の会長に就任しましたが、8月に松本市で開かれた「国際アルピニストシンポジウム」というイベントで困った"事件"が起きてしまいました。

 この企画は、「山高く・水清くして・風光る」がテーマで、松本市、松本市教育委員会、松本商工会議所、信濃毎日新聞社などの主催で、県山協は地元としてお手伝いに当たりました。世界各国から名だたる登山家や各国登山協会の代表が参加し、中国登山協会からは史占春(シーチャンチュン)主席ほか2名が松本入りしてきました。

ボイコット宣言
 ところが、初日からおかしな雰囲気なのです。それは、宿泊先のホテルに先着していたネパール登山協会代表の部屋を中国代表団が表敬訪問したところ、スイートルームだったことが発端でした。後でわかったことですが、ネパール代表団と一緒に来た旅行代理店が勝手に変えていたのです。中国代表団はシングルルームでした。

 次に各国代表団が檀上に上がってのパネルディスカッションで、議長役の日本山岳会長が「中国の登山料は高すぎる!」と発言したため、中国側は「ここで登山料のことを取り上げるのは趣旨に反する」と反発。さらに屋外での記念撮影では適切なエスコートがなく、一番後ろの端っこにされたことで怒りが爆発したのです。そして、もう会議はボイコットして帰国すると宣言したから大変です。

 夕方、当時の和合正治松本市長をはじめ主催者全員でおわびをしても中国代表団の怒りは収まりません。これには、それまで友好を深めてきた県山協としても困りました。それでも、その晩は松本に泊まることになっていたので、信毎さんが夕食を居酒屋にセットしました。酒が回るにつれ、グチはやがて県山協との合同研修会のことで和やかな雰囲気に変わってきました。

 接待役を務めた当時の松本本社の報道部長は普段、酒は一滴も飲まない方です。しかし、主催者の一員としての責任を感じてか、その晩はかなり飲んでしまったのです。そして、ついには気分が悪くなり、日中双方で介抱することになりました。

 翌朝、特急「あずさ」で東京へ向かう中国代表団を松本駅で見送ったのは県山協の関係者だけ。正直言って切ない別れでした。

 訪中し関係修復
 それから数カ月後、信毎の矢島貞雄副社長と私との話し合いで「日本と中国のこれまでの歴史を見据え、大局において将来を展望し、信頼を築き上げてきた登山分野での日中合同研修会を通しての交流をさらに進化させる」ことで一致。12月に矢島副社長と私、それに計画中の中国登山協会訓練センターの人工岩場を設計していた玉井一則君の3人で北京に向かいました。

 ここで矢島副社長は、国際アルピニストシンポジウムの主催者を代表しあらためて不備をわびました。それに対し史占春主席は「事の本質は把握分析している。県山協の立場は理解しており、責任はない」と発言。そして「わざわざ北京まで来ていただいた。今回の件は水に流しましょう」の一言で、問題に終止符が打たれました。

 私たちが持参したお土産は血圧計。矢島副社長の「あまりカッカすると血圧が上がるから...」で、一同大爆笑。この夜、中国登山協会が設営してくれた宴会は和やかで盛大なものでした。
(2013年10月12日号掲載)

=写真=松本事件の修復で握手する史占春主席(左)と信毎の矢島副社長

 
田村宣紀(のぶよし)さん