
2020年夏季五輪の東京開催が決まり、準備が本格化してきました。9月のブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会の際には、私も長野冬季五輪を通じて親交のあったIOC委員に支援依頼の手紙を出し、取材も数多く受けました。それだけに長野五輪と同じように、大成功させてほしいと期待しています。
思えば、長野オリンピックも開催から15年が経過しました。今考えても、よくやったと感無量です。現在でも皆さまから、長野五輪は素晴らしかったし、ボランティアで早朝から出掛けて大変だったけれど楽しい思い出がいっぱいあるなどと聞くとうれしくなります。
長野五輪15周年を記念して今年5月、市内のホテルで長野オリンピック冬季競技大会組織委員会(NAOC)の同窓会を開催したところ、大会成功に尽力した皆さんが全国から200人ほども集まりました。互いに当時の苦労を思い出しながら、時間がたつのも忘れるくらい盛り上がりました。
残念なことには、NAOC会長の斎藤英四郎さん(元経団連会長)、副会長の吉村午良さん(元長野県知事)、同じく副会長の古橋広之進さん(元日本オリンピック委員会=JOC=会長)は他界され、ほかにも幽明境を異にされておられる方々が少なくなく、まさに光陰矢のごとしです。
振り返ると、私は安茂里小市に生を受け、南には魚釣りや水泳で遊んだ犀川が流れ、北にはキノコ採りやワラビ狩りに興じた里山に恵まれました。まさに山紫水明の故郷で、市長として市民の皆さまのお役に立つことができたことは、この上ない喜びです。その後も今日まで年齢相応に暮らし、ことし喜寿を迎えることができました。
31歳で市議会議員に初当選、39歳で県議会議員になり、49歳で長野市長に就任しました。生まれ育った長野市と市民の皆さまのために、全力で「正心誠意」(勝海舟の言葉)頑張ろうと決意を新たにしたのも、きのうのことのようです。
私は、やる時は多くの皆さまに押され、辞める時は自分の決断で、と心に決めておりました。市長は全力投球し3期12年と考えていましたが、4期目に長野五輪があり、もう1期務めました。私を支えてくれた友人たちと、ご支援をいただいた皆さま、今は亡き妻・玲子と家族など、多くの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
(聞き書き・横内房寿)
(2013年11月9日号掲載)
塚田佐さんの主な歩み
1936 昭和11 上水内郡安茂里村小市で誕生
42 17 安茂里小学校小市分校入学(4年から本校へ通学)
48 23 安茂里中学校入学
21 26 長野高校入学
54 29 早稲田大学商学部入学
58 33 卒業後、家業の白土製造業に従事
65 40 長野青年会議所副理事長に
67 42 長野市議会議員に初当選(2期)
68 43 久保田玲子と結婚
75 50 長野県議会議員に初当選(3期)
85 60 長野県議会が冬季五輪招致を決議 長野市長に初当選(4期)
86 61 長野市議会などが冬季五輪招致を決議
88 63 JOC総会で国内候補都市、長野に決定
89 平成 1 長野冬季五輪招致委員会が発足、副会長・実行委員長に
91 3 IOCバーミンガム総会で開催都市、長野に
決定。長野五輪冬季競技大会組織委員会
(NAOC)が発足、副会長に
97 9 全国市長会副会長に
98 10 長野冬季オリンピック・長野冬季パラリンピック開催
2001 13 長野市長退任
現在:県アイスホッケー連盟会長、早稲田大学評議員