記事カテゴリ:

03 国内候補都市に ~全員投票を強く要望 圧倒的多数で決定~

03-tsukada-1123p1.jpg
 長野市と旭川市(北海道)、山形市、盛岡市(岩手県)が争った第18回冬季五輪の国内候補都市は、1988(昭和63)年6月1日、東京の岸記念体育館で開催された日本オリンピック委員会(JOC)総会での投票で長野市に決定しました。

 東京から長野に戻ると、駅前で盛大な祝賀会が行われ=写真下、市役所までパレードをしたことが、きのうのようです。

03-tsukada-1123p2.jpg
 投票結果は、出席45委員中、長野市が34票を獲得し、圧倒的多数で選ばれました。2位以下の得票は公表されませんでしたが、盛岡市が7票、旭川市が4票、山形市はゼロだったそうです。最大のライバルとみられた盛岡を大きく引き離すことができました。

   「盛岡有利」が流れ
 JOCの柴田勝治委員長が岩手県出身で、全日本スキー連盟の堤義明会長が岩手県内でスキー場とホテルを経営していたことから、「盛岡が有利」との情報が流れていました。

 そこで私たちは、日本大学の理事長をしておられた柴田委員長を理事長室に何度も訪ね、長野へのお願いを重ねました。当時JOCでは、国内候補都市は幹部の話し合いで決めるか、委員全員の投票で決めるかが大きな問題となっており、我々は全員投票を強く要望しました。市議会の皆さんも委員への訪問活動を強力に展開してくれました。

 決定総会が近づき、最後のお願いに伺ったところ、柴田さんから「国内候補都市の決定は極めて大事な問題なので、大局的見地から慎重に決めるので任せてくれ」とのお言葉がありました。結局、委員全員の投票で行うことになりました。

 柴田委員長はアマチュア・ボクシングの出身です。自宅へもお伺いしたことがありますが、1階はボクシングジムとして後進の練習に開放されておられ、2階の部屋に案内されました。体も大きいが性格もおおらかで、古武士のような風格の方でした。

 国内招致レースを勝ち抜いた後、首相官邸に竹下登総理を訪ね、長野招致の閣議了解など政府の全面的な協力をお願いしました。竹下総理は「名古屋のような失敗(夏季五輪招致)をしないようにやろう。絶対、勝たねばならない」と言われ、大変心強く感じました。

 続いてお会いした小渕恵三官房長官も力強く協力を約束してくれ、スポーツを所管する文部省にも同様の要請をしてきました。まだ新幹線はなく、在来線特急で23時ごろ帰宅し、翌日の市議会一般質問での答弁準備をしてから眠りに就きました。

  少年少女友の会提案
 国内招致を争ったJOC総会でのプレゼンテーションで、私は「オリンピック少年少女友の会」の結成を提案しました。4都市はそれぞれ招致活動を展開した際、小中学生も参加させていました。それを見て、子どもたちの純真な気持ちを大切にしようと考え、長野に決まればほかの3都市の子どもたちを招いてオリンピックの感動を味わってもらおうと思ったわけです。

 長野に決まってすぐほかの3都市を訪問し、改めて各市長さんに趣旨を説明したところ、快く賛同していただきました。長野までの交通費は各都市が負担し、滞在費は長野でみるということにしました。

 4都市の子どもたちによる「オリンピック少年少女友の会」は以後、毎年長野でスキーやスケートを楽しむ交流を10年間続けました。最後に長野五輪の競技を観戦し、感激を胸に解散しました。
(聞き書き・横内房寿)

(2013年11月23日号掲載)

=写真1=決定の報に歓声(信濃毎日新聞社提供)

 
塚田佐さん