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06 善光寺と城 ~大勧進つぶれ 大本願焼失~

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 城下の松代町自体が震災被害で大混乱の状況なので、まずもって御使者だけでもと、夫役の奥村権之亟をその役につけた。さらに定火消役の前島源蔵に対しては「印鑑を持参し、それを使って善光寺への途中、村人足を40~50人集めてそれを率いて火防せよ」と指示して出発させた。正午過ぎのことであった。

 2人はこの日、夜中に戻って来て、次のように報告した。「大勧進は毘沙門山に逃れ、如来も裏手へ立ち退きました。本堂と山門は残り、大勧進はつぶれ、大本願は跡形もなく焼失しました。道々、村人足を集めようとしましたが、誰もが家をなくしたり、あるいはけがをしたことを口実に、尻込みして応じませんでした。その上、善光寺の火煙に恐怖して狼狽し、一人が参加すれば一人が逃亡するという具合で、人足が集まらず空しく帰りました」

 この日は大変慌しいこと筆舌に表し難く、その上強弱大小の地震が連続して起こり、鳴動やまずで記録しきれたものではなかった。

 暇ある者が書き記したところによると、一日の地震回数は200回を超えたという。この日から4月の半ば過ぎまでは、地震の回数が昼夜に100回以下の日はなかった。

 お城は所々が破損し、大御門がかしぎ、しゃちは粉々になって落ち、番所は半壊、御本丸の塀は大方倒れ、石垣は所々抜け落ちたり、せり出したりしていた。

 下の水の手の割れ目は御門外に出て次第に広くなり、その先は麦畑に入り、八重に割れて2、3尺も3、4尺(1尺は約30センチ)も盛り上がったように、床違い(断層)になって落ち込んだ所があった。この割れ目は遠く西寺尾まで続いたといわれた。引橋御門外のお堀も泥高く突き上げ、干潟となった。神田川から向こうの麦畑は3尺ほど陥没した。この土は百間堀へ突き上がったと思われた。
(2013年11月16日号掲載)