記事カテゴリ:

25 山学山遊会 ~自ら考え仲間と協調 登山は真剣な遊び~

25-tamura-1102p.jpg
 私の登山人生も50年を超えました。上越山岳会に入って本格的に始めたのが1960(昭和35)年。この翌年に長野県山岳協会の前身の県山岳連盟が発足していますから、私の登山の歩みと県山協の歴史はほとんど一致するわけです。一昨年は協会創立50周年記念誌をまとめる大役も果たしました。

 登山人生50年の前期は山岳会「グループ・ド・モレーヌ」と共にあり、中期は県山岳協会会長として全力を尽くし、現在は後期になります。会長辞任後は、これまでの登山経験を役立てる道がないものかと友人たちと話し合い、「安全で楽しい山の会」をつくろうと中高年の山の会「山学山遊会」を立ち上げました。

 欠かせない勉強
 「山に学び、山に遊ぶ」という意味の名前は、会の内実を表わすものにしようと皆で知恵を出し合って付けました。「登山は文化」という私の登山観にぴったりの名前で、とても気に入っています。私の登山人生後期はこの会の活動が中心になっています。

 会の方針ははっきりしています。まず、会員には自主性と自立を求めています。つまり、"連れて行ってもらう登山"からの脱却です。自分のテーマを持ち、自分で考え行動しながら仲間と協調するクリエーティブな登山を目指しています。

 そのためには勉強が欠かせません。隔月の例会では講師を招いて様々な学習をし、登山の後も単に「楽しかった」でおしまいにせず、読み応えのある報告や感想を会報に書くことにしています。会報の編集作業はチームで行い、発足から毎月発行が続いています。活字の持つ意味は大きく、会員同士をつなぐ役目を果たしています。こうしたことが、山に向かう姿勢を養うことになります。

 山を高さや知名度で区別しないのも会の方針です。高い山に登るのが偉いとか、海外の山だからすごいという見方はしません。どんな山にも個性を見いだし、それを楽しむことが文化です。はやりの「日本百名山」踏破などにありがちな、登った山の数を目的としたり競うことに興味はありません。

 登山は自然を相手に行う行為ですから、私たちが相手をコントロールすることはできません。人間の側が謙虚になることは人間性への回帰でもあります。登山はスポーツであっても勝ち負けを競うわけではなく、仲間との協力と信頼関係が重要になるので良き友との出会いにも恵まれることになります。年齢や体力に応じて、生涯楽しむことができるのも素晴らしいと思います。

 肝に銘じる言葉
 特に秀でたことがないからこそ山だけを道楽にしてきた私は、結果的に賢明だったのかもしれません。登山を続けるのにふさわしい資質として私が感じているのは、健康な体と幅広く持続的な好奇心、そして冒険心ですね。

 身近な山、高い山、藪の山、氷河の山、花の山、晴れた日も、雨が降る日も、風のそよぎにも、それぞれに個性があり、表情は刻一刻と変わるのが山です。そこに無限の楽しみ方があり、感動があります。「登山は真剣な遊びである」が、私の基本的な哲学です。それは真摯に山と向き合い、汗を流して頑張り、歩み続けることだと思います。

 最後に私の好きな芭蕉の言葉を、肝に銘じる意味で記しておきたいと思います。〈先人の跡を求めず 先人の求めるところを求める〉
(聞き書き・北原広子)
(2013年11月2日号掲載)
 田村宣紀さんの項おわり

=写真=「山学山遊会」10周年記念の飯縄山集中登山
 
田村宣紀(のぶよし)さん