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31 大笹街道 三原道 ~上州と結ぶ要路の牛稼ぎ道~

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 秋深まる10月19日、須坂市三原道(みはらみち)を歩く。バスを南原町東で降り、大笹街道に向かう。三原道との分(わか)されの石の道標には「右仁礼道(にれみち)、左灰野道(はいのみち)」と刻され、灰野道が三原道だ。

 江戸後期の『三峰紀聞(さんぽうきぶん)』には「峻嶺にして羊腸なれと、大笹街道よりは甚だ里程近く」と記され、群馬県嬬恋村干俣(ひまた)と24キロで結び、さらに三原宿(現在の万座鹿沢口)へと続く。

 灰野川沿いに上ると、石碑が立つ米子不動尊への分岐で、「右滝山不動尊、左灰野成田不動尊」と刻され、この石碑は「案内(あない)不動」と親しまれている。一日の無事祈願の般若心経を奉誦。

 左に入りまもなく馬頭観世音堂で真言読誦。灰野川右岸の緩やかな坂を上り、2つの住宅団地を抜けると灰野砂防ダムに着き、小休止。

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 秋麗の気を心身に受け、灰野川の瀬音を耳に約3.5キロ先の豊丘ダムを目指す。古道をしのぶよすがもないダム工事用道路にひたすら足を運ぶ。権現岩を過ぎると、豊丘ダムが眼前にそそり立つ。このダムは標高795メートルに建造された県営の多目的ダムである。

 色づき始めた木々の親水公園で上流に向かい昼餉(ひるげ)。思いは江戸時代の三原道にはせ飛ぶ。この古道は『長野県町村誌=昭和10年』に「乳山(ちちやま)峠を経て、上野国高崎への道路なり」と記された要路で、荷を背負った牛はダム背後の「大乳(おにゅう)」「小乳(こにゅう)」と呼ばれる乳房状の2つの頂の間を抜け、峠で上州側の牛と荷の付け替えをしていた。

 信越線の全線開通(1893年)により廃れたが、破風高原五味大池の池畔に立つ江戸時代の大日如来石碑が往時の姿を今に伝えている。道はここからダム湖底に没し、その先は人跡がない。大日如来に般若心経を読誦して深く遥拝(ようはい)。

 豊丘の里に進む。約3キロで豊丘上町に着き、奈良(なろう)川沿いに下る。この里は、江戸時代に牛稼(かせ)ぎ道である三原道の要地として栄えた。

 越後を通じて入った佐渡牛と共に、大日如来を牛の守護仏とする信仰も伝わり、深く根づいた。それを物語る石碑が路傍や民家の門先(かどさき)に立ち並び、それぞれに真言を読誦して進む。

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 まもなく洞入(ぼらいり)観音堂に着く。ここは佐久出身の旧家・市川一族の持仏堂(じぶつどう)で、400年来の先祖の位牌が守り継がれている。本尊千手観世音に写経を納誦。整った広い境内に大きな第四百回忌法要の記念碑が立ち、一族の深く、長い祈りの姿を今に示している。私は自戒と敬意の念に強く打たれ、秋空の下でしばらく佇立。

 納めは案内不動に戻り、感謝の不動真言を奉誦して、牛と祈りの豊丘の里を後にした。次は若穂、松代の北信濃十三仏霊場をたどる。
(2013年11月9日号掲載)

=写真1=三原道は大乳、小乳(正面)の間を抜けて上州へ
=写真2=米子不動尊との分岐にある案内不動
 
絆の道