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05 わが家の様子 ~破損大きく 哀れなありさま~

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 3月25日の朝から強襲は続いていてやまない。雨模様だけれども降り出さないので、せめてもの幸いと人々は思った。わが家の様子も心配なので、午前8時過ぎに同僚の家老、恩田貫実子に「しばしの時間頼む」ということで帰宅した。

 すると夜中は大丈夫と思っていたのに、わが家もかなり破損しており、土蔵が3つとも大きく破損、1棟は今にもつぶれそうで裏門も倒れ、続きの塀もみな倒されていた。

 そのほか、所々の塀が倒れ、その長さは30間(約55メートル)ばかりになる。表の方の壁がひどく倒れたり落ちたりしている。その上、家は北へ8、9寸(約24~27センチ)も傾いた所があり、南へ1尺(約30センチ)もかしがった所もある。まことに見るも哀れなありさまであった。

 妻は鎮守の前にあった少しばかりのむしろを覆った小さな粗末な小屋の中で、下女2人と共にいた。使用人の左京を伴った長男の義男は過日、野沢の温泉に湯あみに出掛けていたが、その地の地震の様子はどうかと心配して早く帰ればいいが、と思っていた。

 妻もこのことを言い出し、早く「迎人」(むかえびと)を出そうとして同心の鉄治と喜兵衛とを選んだ。

 城に居たとき、次々と来る「注進」のなかに「山中に山抜(やまぬけ)があったと見えて、犀川の水が次第に枯れ、けさ3時ごろは膝下までも減水して幼児でさえも歩いて渡れるほどになった」という重大な情報があった。

 かつてのあの大河がいっときにせき止められたのであれば、倅が中野通りで帰った場合、押し流される心配がある。そこで10時ごろ、野沢へ「迎人」を出発させ自分は登城した。

 土手に上って望見すると、善光寺町の火煙はますます盛んで、火勢は一方は後町方面へと向かっていた。「善光寺へ消防隊を送れ」との命令が出されたが、松代の町では圧死者も多く、今もって掘り出すことさえできないで地中でうごめいている者もある始末。手元の者までも皆そこへ出動させたほどだから、火消し人数を出せる状態ではなかった。
(2013年11月2日号掲載)