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66 「記念館百話」 ~関家が伝える逸話~

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 佐久間象山の定宿だった千曲市桑原の「伴月楼(ばんげつろう)記念館(旧象山桑原記念館)」=写真=館長の関章さんは、冊子「記念館百話」を2008(平成20)年11月に自費出版した。象山に関する多くの逸話が記述されている。主なものを紹介すると―。

 【外出時の揮毫】
 象山は漢詩などを数多く残しているが、出先でしたためたものがかなりある。その際は筆、硯(すずり)などを持参したのではなく、知友の家にあるものを用いた。作品には雅号の署名だけで、朱印の欠けたものがあるのは、そのためだ。

 【外国語の覚え方】
 30歳半ばから、オランダ語を身に付けるには「節を付けたり、声を出したりすると覚えられる」と人から教えられた象山は、外出や散歩の道すがら、それを実行した。矢代宿(千曲市)では「訳の分からないことを言っている人がいる」「狂人がやって来た」と散々なことを言われた。

 【満照寺事件】
 1851(嘉永4)年2月、象山は千曲市生萱で試射した大砲の砲弾が幕府領に落下し、もめ事をつくった。ところが、これはでっち上げ事件だった。
 着弾したのは一重山を越えていない真田家領地。常日頃、象山の言動に目くじらを立てていた人物らが、好機とばかり近くの子ども数人に駄賃を与え、砲弾を山の向こうに、つまり満照寺の境内に転がり落とすように頼んだのだ。
 大正時代に「わしら子どもの時分、数人でやっとのことで(山の)上まで(砲弾を)持って行き、落とした」と語っている老人がいた。

 【最初の家庭訪問】
 象山は日本で最も早く門人の家を家庭訪問している。象山が訪れなかった門人の家はなかった。その家の生活ぶりを見たり、漢詩の題材を見つけるのも楽しみだったという。
      ◇
 「佐久間象山先生御泊の処」の看板が残る関家。章さんの父親、舜(しゅん)さんが、同記念館を開館。見学者に父が資料を説明した際、その内容を章さんが53ページの冊子にまとめ「百話」として出版したものである。
(2013年11月9日号掲載)
 
象山余聞