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76 年を取ったら あの人のように...(上)

 「老いてなお矍鑠(かくしゃく)」は特別な階層や職種や環境に育った人だけにあるのではない。

 身近なそこにいる人のなかに

 前回取り上げた伊能忠敬と日野原重明さんは、仰ぎ見る大樹のような存在だった。やることなすことが破格で、余人の遠く及ばないという思いがあった。今回はそんないわばお偉い人ではなく、身近な、そこにいる人を取り上げたい。年を取ったら、あんなばあちゃんになりたいなあ、あんなじいちゃんがいいなあ、そんなお手本のような人がいるのだ。肩書きや地位や名誉でなく...。

 〈M・Tばあさん〉
 間もなく94歳になるというおばあさんを訪ねた。山また山。典型的な過疎地、廃屋が目立ち、田畑の荒廃は至る所だった。

 いまは10戸に満たないその集落が目的地だった。そこは昭和30年ごろまで芝居が盛んで、鎮守の杜(もり)には廻(まわ)り舞台を備えた神楽殿が2カ所もあり、地域の人たちによって歌舞伎までが演じられてきたというのだった。訪問の趣意は、この地の過疎と歌舞伎の今昔について詳しく知りたいということだった。こんな人がいると教えられて訪ねたのがM・Tさんだった。

 小柄なおばあさんはもんぺ姿で上がり框(かまち)にきちっと座って応待してくれた。穏やかで飾らない語り口から、地域の歴史や世態風俗に精通していて生き字引のような人であることが伝わってきた。祭り一つにしても、鎮守の杜から笛や太鼓が鳴り響き、五反幟がはためき、お神楽(神輿)を先頭に祭りの風流(ふりゅう=行列)のにぎわいが谷筋に谺(こだま)したことを、"うん、そういう時代があったんだ"と自らに言い聞かせるように語った。山腹にある神社への九十九折(つづらおり)の道々にある石仏や木立のことにも詳しかった。廻り舞台がゆっくり廻り、桟敷からやんやの喝采が湧きあがり、袖を絞らされたこと、それがこともあろうに過疎という異常な事態が怒濤のごとく押し寄せ、全てが壊れ潰(つい)えていく様を諄々(じゅんじゅん)と語るのだった。

 "限界集落"とはその地に関わりない第三者が情け容赦もなく、あえて苦境に追いやり、崖っ縁に立たせるような仕打ちだ。おばあさんは「ほんとの過疎はこれからだ」とさすがに声を震わせた。

 おばあさんのきれいな歯並びと語り口調から70歳前後かとお聞きすると、入れ歯はなく全部自分の歯であるとのこと。「もうじき94歳になります」と笑った。明眸皓歯(めいぼうこうし=澄んだ瞳と白い歯、美人の形容)を思わせられたのだった。「耳はよく聞こえるし、眼鏡はなくとも新聞が読める、若いとき盲腸とへんとうせんを患っただけで...おかげさまで血圧もいいようです。これでもマレットと畑仕事で忙しいんですよ...」

 M・Tばあさんはひと口に言えば、とても感じのいい人で、語らなかった言外に実は聞いてもらいたい、知ってもらいたいことが、いっぱい詰まっているとお見受けした。

 何事も普段着のままで立派
 M・Tさんの知人は、あの人はとにかくやることにウソがなくて立派、何事も普段着のままでさっぱりしている、私はあの人に付いていくだけ、というのだった。その知人さんもなかなかの人で85歳だという。お宮のことを尋ねると、「案内しましょうか」と言って、お宮までの随分荒れてしまった山道をすたすたと登るのだった。私はその速さにとてもついて行けず、話しかけては立ち止まってもらい呼吸を整えた。おばあさんは背の丈もあるヨモギの中で、この辺り一帯は一面の麦畑だった所、あの辺はウチの一等地だった...。そんな話をしながらお宮に着いた。神楽殿はすでにさら地となり、本殿も雨漏りが始まっていた。「どうしようもないわね。若い衆はみんな出てしまったし...」。おばあさんは倒れた鳥居の前で立ち竦んだままだった。
(2013年11月16日号掲載)
 
美しい晩年