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大阪・兵庫07 蘆刈(あしかり) ~夫婦愛を描く~

 〈あらすじ〉 摂津国日下の里に住む男が、貧困のため妻と別れて住むことになった。その妻は京の都で高貴な家の乳母となり、出世する。3年ほどたって、従者を連れて難波の浦に里帰りしたところ、夫は行方不明。捜していると蘆(あし)を売る貧しい男が現れる。男は牛車の中に妻がいたので驚き、落ちぶれた身を恥じて逃げるが、妻は呼び止める。2人は和歌で変わらぬ愛を確かめ合い、共に都へ帰って行く。
      ◇
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 この謡曲は、平安時代の歌物語である大和物語から典拠した。原典では、女は京で仕えた主人の妻が死んだので、請われて後妻になってしまった。ある日、別れた夫が気になって、日下の里を訪れる。夫を見つけたが、逃げる夫から和歌を渡され、よよと泣く。着ていた着物を脱いで、返歌と一緒に渡し、都に帰って行った。「その後はどうなったであろう。それは知らない」と冷たく終わっている。

 謡曲は夫婦を再び一緒にさせた。男が狂って舞うなど曲柄を「男物ぐるい」にしているが、内容は爽やかな夫婦愛を描いている。

 夫婦が住んでいた日下の里は、今の東大阪市日下町。前回の「難波」で書いたように、当時の大阪湾は東大阪市まで入り込んでいた。海辺のあちこちに蘆が茂り、湾の入り口に難波津や難波宮があった。男が出会った従者に、その旧都や仁徳天皇の徳を自慢するのだった。

 謡曲史跡保存会は「蘆刈」の史跡に、西淀川区にある田蓑(たみの)神社を選んだ。駒札を立てた当時は、難波宮の場所が明らかでなく、謡曲の「笠之段」に出てくる「田蓑の島」を手掛かりにして設置したようだ。

 その田蓑神社を訪れてみた。阪神電鉄の千船駅で下車、タクシーで5分程度。神崎川と左門殿川に挟まれたデルタ地帯で、対岸に尼崎市が見えた。保存会の駒札は壊れており、神社が駒札の原文を写した記念碑を建て、「佃漁民ゆかりの地」「紀貫之歌碑」の記念碑と並べてあった。神社は難波宮との位置関係からみて、謡曲の舞台ではないが、関連史跡として参拝者もいるようだ。

 谷崎潤一郎の作品に「蘆刈」という短編がある。謡曲の主人公が散歩に出た水無瀬(みなせ)の淀川べりで、近くにあった「江口」の遊女に思いを巡らせ、ここで出会った和服姿の男が「小督(こごう)」を謡う。結末はその男が父親と「お遊さん」との奇妙な話を語っているうちに、実は父親自身の亡霊であることを暗示して蘆の中に消えて行く。能特有の夢幻的な描写である。

 潤一郎は謡曲にも造詣が深かったと知り、改めて親しみを感じた。
(2013年11月30日号掲載)

=写真=西淀川区にある田蓑神社
 
謡跡めぐり