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07 立候補届提出 ~他5都市に先駆けて 「成功へ全力」訴える~

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 1990(平成2)年2月12日、私と穂積八洲雄JOC(日本オリンピック委員会)理事ら8人の代表団がスイス・ローザンヌのレマン湖畔にあるIOC(国際オリンピック委員会)本部を訪ね、第18回冬季オリンピックの立候補届を提出しました。

 約束の時間に間があったので、近くにあるオリンピックミュージアム(五輪博物館)を先に見学しました。期待に反してだいぶ老朽化した建物で、東京五輪、札幌冬季五輪などの展示もありましたが、展示物もそれほど多くなく、物足りない感じがしましたね。

 その後、オリンピック旗が掲揚されている本部玄関から会議室へ案内され、緊張しながら待つとサマランチ会長やスタッフが入ってきました。猪谷千春IOC委員のメンバー紹介で始まり、立候補届の文書を入れた桐(きり)箱を会長に手渡しました。
会長からアドバイス

 文書はJOCの招請状、長野市長の立候補声明、内閣総理大臣の支持書の3通です。それぞれ五輪公式語の英語とフランス語で表記しました。

 立候補届は長野がトップの提出でした。この後、アオスタ(イタリア)、ハカ(スペイン)、エステルスンド(スウェーデン)、ソルトレークシティー(アメリカ)、ソチ(ソ連)の5都市が続きました。来年2月に冬季五輪が開かれるソチはその後、取り下げましたがね。

 提出後の記者会見では、20世紀最後の冬季五輪を全力を挙げて成功させ、世界平和への貢献と自然との共存、青少年の参加促進で感動の輪を世界へ発信したい-と訴えました。

 引き続き会長招待のランチになりましたが、建物内の職員用レストランでコーラとサンドイッチなどの軽食でした。会長から長野の準備状況などの質問があり、9月のIOC東京総会は長野をPRする絶好のチャンスになる―とのアドバイスを頂きました。

 ランチの後、サマランチ会長の案内で本部内を見学しました。100人ほどが働くスタッフの執務室のほか、大小の会議室、記者会見室などがあり、最後に会長室を見せてくれました。緑の芝生の100メートルほど先にレマン湖が見える割と小さな部屋でした。

 「メイヤー(市長)だけ残ってください」というので通訳の田中美恵さんと2人でいると、会長が窓辺の机の上の布を取り払いました。そこにあったのは、公園のような敷地の中に建物が配置された模型でした。「これが何か分かるか」と聞かれ、首をかしげていると、会長は笑いながら「これは新しい五輪博物館の模型だ」と答えました。

新五輪博物館を建設
 「現在の博物館を見たか」と聞くので、「先ほど見学したけれど、あまり見栄えがしなかった」と答えました。すると、「新しい五輪博物館を造るのが私の使命であり、現在建設計画を進めている。世界中の企業に協賛してもらっている」と言い、日本からもトヨタ、パナソニックなど数社の名を挙げ、「ミスター堤に協力してもらっている」と話されました。

 当時は日本も「経済大国」と言われていた時代です。日本企業の支援を相当期待していることが分かり、「それなら長野も有利かな」と感じましたが、楽観的になってはいけないので、この話は私の胸の内にしまっておくことにしました。

 後日、完成した新五輪博物館はレマン湖を見下ろす丘の斜面に建てられ、眺望も良く芸術性の高い建築物です。展示品も夏・冬の五輪ごとに並べられ、古代オリンピックの資料もあって、ローザンヌの観光名所になっています。
(聞き書き・横内房寿)
(2013年12月21日号掲載)

=写真=IOC本部でサマランチ会長(右)に立候補届を手渡す
 
塚田佐さん