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大阪・兵庫08 呉服(くれは) ~渡来した織姫姉妹~

 〈あらすじ〉 摂津国の住吉神社に参拝した天皇の臣下が、池田の呉服の里を通りかかると、松原の松陰に2人の女がいる。普通の里女と様子が違うので尋ねると、応神天皇の御代に中国の呉からやってきた呉織(くれはとり)と漢織(あやはとり)で、めでたい御代にひかれて現れたという。2人が当時の事などを語った後、「錦をわが君に捧げるから待つように」と言って消える。明け方、呉織が女神となって現れ、舞を舞って臣下に錦を渡す。

    ◇

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 呉から織姫が渡来したことは『日本書紀』に載っている。巻10の「応神天皇紀」によると「使者を呉に派遣し、職工女を求めさせた。使者はまず高麗国に渡って道案内を頼み、ようやく呉にたどり着いた。呉の王は4人の織姫を与えた」とある。うち呉織と漢織の姉妹が摂津国の武庫の浦に着き、地元では機殿(はたどの)を建てて2人を迎えた。

 この機殿跡に建てられたのが池田市室町にある呉服神社だ。姉の呉織が、わが国の機織・裁縫の元祖「呉服大神」として祭られており、妹の漢織は郊外の五月山公園にある伊居太(いけだ)神社に同じ神として祭られている。土地の人は呉服神社が町中にあるので「下の宮」、伊居太神社が小高い山中にあるので「上の宮」と呼んでいる。

 池田市へは阪急電鉄宝塚線の池田駅で下車。線路に沿った裏道を北に100メートルほど進むと、道路いっぱいに石の鳥居が立っている。その左に折れると突き当たりに呉服神社があった。住宅地に囲まれた「庶民の宮」といった印象だ。本殿正面の両脇に鳳凰を描いたステンドグラスで飾ってある。「中国から来た若い織姫なので、華やかな雰囲気でお迎えしてある」(社務所)とのことだった。

 本殿裏に「姫室」と刻まれた石塚があった。織姫の墓石とみられる。明治の軌道開発で、田んぼの真ん中から「姫室」「梅室」の二つの石塚が発掘され、「姫室」がこの下の宮、「梅室」が上の宮に移されたという。

 織姫が糸を染めたと伝えられる「染殿井(そめどのい)」も、呉服神社から少し離れた民家の玄関先にある。むろん井戸は枯れているが、古びた石塚と、横に池田市教委の案内板が立っていた。

 神社の縁起に「大神は昼夜怠りなく布を織り、この時から機織・裁縫の技術がわが国に伝わり、男女貴賤の服装の区別が決まり、寒暑の憂いもなくなった。以来わが国の絹布類を呉服(ごふく)と称するようになった」とある。

 とすれば、それ以前のわが先祖は、麻袋のようなものをまとっていただけなのか。むしろ、そんなことが気になった。
(2013年12月14日号掲載)

=写真=華やかな呉服神社の本殿
 
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