記事カテゴリ:

09 生死 ~逃れた子 助けられた父子~

09-mushikura-1214p.jpg
 ○紺屋町の美濃屋学兵衛の子、12~13歳ばかりになるを、善光寺町の何屋かへ年季奉公に約束して3月24日に遣わした。

 しかるにその夜、地震の上の火災。とても逃れることができず死んだと思っていたら25日、先の隠居がその子を連れて来た。

 夢のごとく喜んで、そのわけを聞いたところ、隠居は「いつものごとく、御堂参りに行って戻りかけ、大雷のような音とともに敷石2、3尺(60、90センチ)高く上っては下がり、上っては下がりするうちに、所々の家瓦が落ちてきて、びしびしと音がして、さては大地震よと心得、この子を抱いて土の上に着座してしのんでいるうちにあちこち火事になってきたので、ようやく逃れて、連れて来た」と申したということである。よくも運のいい子がいたものである。

 ○町医者の見昌の子に昌庵なる者がいた。この昌庵が新町村の塩野入久衛門の娘を妻に迎え、この夜婚姻した。親族そのほか70~80人が寄り集まり、盃事も済み、色直しなどをやるうちに、大地震が来て家をつぶし、嫁も家内も客も共に打ち倒されたが、客の中に与八郎夫婦もいた。与八郎は倒された時脇差しを探り得て、何方(いずかた)をか切り破って逃れ出て、勝手と思われる辺りにいた見昌父子を助け出した。

 ついでに2~3人を助け出したが、この家は焼失した。栗田村の源左衛門夫婦も来ていたが、死に、嫁も久衛門も死んだ。無残なことであった。このうち30人ばかりは逃れしという。

 しかし、与八郎が差していた脇差しはいかなる名刀か、刃が少しこぼれただけで、4~5人の命を助けた業物と評判になったという。
(2013年12月14日号掲載)
 
「むし倉日記」を読む