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048 秋和 ~街道と蚕が育んだ夢空間~

  秋和の里
    伊良子清白(いらこせいはく)

月に沈める白菊の
秋冷(すさ)まじき影を見て
千曲少女(おとめ)のたましひの
ぬけかいでたるこゝちせる

佐久の平の片ほとり
あきわの里に霜やおく
酒うる家のさゞめきに
まじる夕(ゆうべ)の雁の声

    ◇

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 7音・5音、7音・5音...と繰り返す七五調の優美な詩だ。日本人の感性を心地よくくすぐるリズム感に、おのずからうっとりさせられてしまう。

 晩秋というよりは、もう初冬の情景と言ったほうがいい。澄みわたった月の光を浴び、菊の花が冷え冷えと映える時季である。

 千曲おとめの心根が抜きん出て美しい「秋和(あきわ)の里」とは、どんなところなのだろうか。続く「酒うる家のさゞめき」といった言葉が、情緒たっぷりに想像の世界へ招き、詩心、旅心を誘わずにはおかない。

 あらためて上田市に足を延ばした。市街地の北側には太郎山(1164メートル)が屏風さながら立ちはだかり、"信州の鎌倉"塩田平へと広がる家並みを見下ろしている。

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 その太郎山を源とする千曲川の支流、矢出沢川が、市街地に入ってしばらく旧北国街道と並行し、西へ流れる。今なお川沿いには、白壁の土蔵が往時の一端をとどめ、上紺屋町、下紺屋町と続いていく。

 やがて南へ方向を変えた矢出沢川と善光寺方面へ西に向かう街道が交差する。ここら辺りまでが、上田藩5万8千石の城下だった。
そこから先は農村地帯に変わる。かつての小県郡生塚(うぶつか)村、秋和村や上塩尻村、下塩尻村である。太郎山に連なる山裾が、緩やかに千曲川へ傾斜している。

 一帯は江戸末期から明治、大正、昭和の初め養蚕が盛んだった。"蚕都"上田を支える基盤である。とりわけ塩尻や秋和は、蚕の卵を育てる蚕種業が盛んな地として知られる。

 その秋和に詩人の滝沢秋暁がいた。家業の蚕種問屋を担いつつ、投稿雑誌「文庫」を拠点に文学活動に打ち込んだ人だ。

 1902(明治35)年11月5日、秋暁宅を同じ文庫派の詩友、伊良子清白が訪ねた。現在の鳥取市生まれの医師であり、明治、大正、昭和期の詩人である。

 直江津から汽車に乗って立ち寄ったのだった。気の置けない詩の仲間同士、さぞ話が弾んだことだろう。「秋和の里」のロマン薫る詩情が物語っている。

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 そんな面影を求めていくと、一里塚跡に立つ石の道しるべに出合った。「右北国街道 左さくば道」と刻まれている=写真下。さくば道は農道のことだ。たぶん桑畑に通じていたに違いない。

 再び戻って城下の入り口にたたずめば、矢出沢川に「高橋」と称する橋が架かっている。近くには詩に登場する「酒売る家」があった。

 川岸に柳の枝がなびき、白壁がまぶしい。月明かりの下、2人の詩人の魂が共鳴し、一編の詩を誕生させている。

 〔文庫派〕明治期の文学作品投稿雑誌「少年文庫」、改題して「文庫」を登竜門に一家をなした詩人、歌人たち。伊良子清白はじめ北原白秋などもいる。
(2013年12月14日号掲載)

=写真=矢出沢川に架かる高橋かいわい

 
愛と感動の信濃路詩紀行