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67 力士雷電の碑 ~文字数380字余の漢文で~

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 天下無双の力士とたたえられる東御市出身の「雷電為右衛門」=写真右、県立歴史館提供=は並外れた体格と怪力に恵まれ、佐久間象山が1861(文久元)年の夏に碑文を撰文、揮毫した「力士雷電之碑」が同市内に立っている。顕彰碑は旧北国街道沿いにある。新旧2つ立っており=同左、名文との評価だ。

 碑の内容は、「力士雷電。信濃小縣郡大石邨人(むらびと)(現東御市滋野乙)。年十八九。身長6尺5寸(197センチ)、体重45貫匁(168・8キロ)。肢幹如鐡」など、経歴、人物像を漢文で記し、文字数は約380字。

 8月に開いた長野漢詩会の定例勉強会で宮崎真講師が、碑文をテキストに取り上げて、次のように解説した。

 (碑文の後半部分)「昔、越前の結城秀康卿(徳川家康の次男)が伏見の城に名妓として知られた出雲のお国を招いて舞を舞わせたが、これを見て天下の女子千万人もいる中で、この女が第一だ。しかるに我は大名として生まれながら、まだ名をなすに至らない。それが残念だ。この女を見て愧ずかしいといって泣いた話を述べ、今予(象山)は雷電のために、この碑に識す」などと書いてある。

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 東部町誌によると、碑の破片を懐にすれば、怪力が得られるとか、水商売の人は売り上げが伸びる...などの迷信が生まれ、碑面が打ち砕かれて全く読めなくなってしまった。惜しんだ象山の妻、順子(勝海舟の妹)や、雷電の末孫らが発願し、顕彰碑の木版から1895(明治28)年に再建した。

 雷電は名君の誉れ高い出雲の国、松江藩主、松平不昧公(治郷(ふまいこうはるさと))に召し抱えられ、待遇は士分扱い(4人扶持)。帯刀し、供の者に槍を持たせて歩けた。59歳で他界した。

 雷電の名は、雷と電(いなびかり)のように鳴り響き、44歳で引退するまで254勝10敗。相撲史上最高の記録という。
(2013年12月14日号掲載)
 
象山余聞