
スイス・ローザンヌのIOC(国際オリンピック委員会)本部での立候補届け出の翌日、私たちは首都ベルンの日本大使館に立ち寄り、当時の大使にスイス在住のIOCの大御所、マーク・ホドラー国際スキー連盟会長によろしくお伝えください、とお願いして帰国の途に就きました。
このころになると、頻繁だった海外出張での時差ぼけも何とか克服し、あまり感じなくなりました。搭乗中の機内の雑誌に、時差ぼけは体内時計を現地に合わせればよい-とあり、それを実行してみたら効果がありました。
帰国してしばらくすると、「冬季五輪は自然破壊につながる」として反対運動が活発になり、長野駅前でビラ配りなども行われるようになりました。
最重要と受け止め
特に志賀高原・岩菅山(2295メートル)への男子滑降コース新設を問題視する動きが、自然保護団体を中心に激しくなってきました。招致委員会としても最重要案件と受け止め、自然保護専門委員会を設置して慎重に議論を重ねました。
このころ世界的にも、森林伐採による自然破壊や地球温暖化などへの懸念が強まり、冬季五輪は自然との調和を問われるようになってきました。そのため、次の開催地のリレハンメル(ノルウェー)は「環境五輪」を強く提唱。IOCもこの問題を避けて通れなくなり、「スポーツと環境世界会議」を開催するようになりました。
そんな情勢の中で、岩菅山の問題をどうするか、私と招致委員会の市村勲事務総長が上京し、JOC(日本オリンピック委員会)会長で全日本スキー連盟会長の堤義明さんと3人で今後の方針を話し合いました。
その席で堤さんから「このまま押し切るのは問題が多い。岩菅山の開発は断念し、白馬村八方尾根の既存コースに変更しよう」との提案がありました。ただ、五輪の滑降コースは特別の難コースを設定しなければならないので、国立公園の第1種特別地域を通ることになるが、その問題は最終段階で決着させよう、とのことでした。
堤さんによると、男子滑降は猛スピードで下ってくるので、五輪選手なら段差が20~30センチあれば第1種特別地域も飛び越せる、との説明でした。私たちも、それなら自然保護問題もクリアできるので、岩菅山で無理をするよりベターな選択だと思い、賛成しました。
以前、アルベールビルを訪ねたときも、滑降コースには貴重なコケ類があり、フランス政府の許可を取って保護しながらコースを造るという話を、ジャン・クロード・キリーさんから聞いていたことを思い出しました。
慌ただしい一日
帰路、特急電車の中で市村さんと「あす吉村知事をはじめ山ノ内町長、白馬村長ら関係者に説明した上で記者発表しよう」と話して長野へ戻りました。
ところが翌朝、新聞を取りに自宅の門を開けたところ、記者の皆さんが待っており、朝日新聞の記事を見せられ「どうなっているのか」と質問攻めに遭い、大騒ぎになりました。
その日は人間ドックも予約していましたが、それどころではなく急きょ知事公舎で対応を協議し、関係者に手分けで説明し慌ただしい一日となりました。翌日、正式に「岩菅山への滑降コース新設は断念。既存の白馬コースに変更」と発表して、ひとまず決着しました。
この問題で私は、早稲田大学の先輩でもある石原俊輝信濃毎日新聞社長に「コースを変更するにしても、県民によく説明してからでなければいけない」とたしなめられ、説明責任というものについて大変勉強になりました。
(2014年1月1日号掲載)
=写真=滑降コース新設が計画された岩菅山=1988年4月の自然保護団体現地調査(信濃毎日新聞社提供)