
岩菅山の問題が国内で一応の決着を見た後、1990(平成2)年4月末、旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードを訪れました。IOC(国際オリンピック委員会)理事会と夏季国際競技連盟総会に出席して必要な報告をし、委員らの質問に答えるためです。
滑降コースの白馬への変更や、堤義明さんが辞任した後のJOC(日本オリンピック委員会)会長に古橋広之進さんが就任することになり、諸問題を抱え心配しながらの出席でした。ドイツのフランクフルト空港で、やはりベオグラードへ向かうJOCの岡野俊一郎専務理事にお会いし、サポートをお願いしました。
副会長がアドバイス
この空港では、国際司法裁判所判事を務めたIOCのケバ・ムバイ副会長(セネガル)とトレガー委員(西ドイツ)とも偶然お会いし、長野の問題点を話し合いました。ムバイ副会長からは、長野は自然保護派の反対運動があるので、白馬へのコース変更の必要性を全IOC委員にしっかり伝えるべきだ-とのアドバイスをいただき、心強く感じました。
ベオグラードに到着すると、早速、会長秘書のアニーさんに面会時間を予約し、サマランチ会長と9回目の会見をしました。滑降コースは、自然保護のため岩菅山の新たな開発は断念し、白馬の既存コースに変更する-と説明したところ、会長は「それで問題をクリアできるなら、よい」との見解でした。
国際スキー連盟会長でIOC理事のマーク・ホドラーさん(スイス)とも懇談し、滑降コース変更への理解をお願いしました。猪谷千春さんから、ホドラーさんは岩菅山の方が五輪コースにふさわしいとの考えなので、あまりコース問題には深入りしないよう注意がありました。大事な問題なので、帰国後吉村知事に報告し、今後の方針を協議しました。
スウェーデンのエリクソン委員とも会談しました。同じ98年冬季五輪への立候補都市であるエステルスンドの状況を尋ねると、「スポーツには勝ち負けがあるが、我々はネバー・ギブアップだ」と強調していました。最後にお互いフェアプレーでいこうと握手し、「長野にもサウナはあるから視察してください」とユーモアを交えて話した思い出があります。
帰路、ローマに立ち寄り、日本大使館員の出迎えで、乗り換えの飛行機の時間までにイタリアの2人のIOC委員に会いに出掛けました。あいにくローマ市長は、近く開催のサッカー・ワールドカップの準備で忙しく時間が取れないとのことでした。もう1人のステファニ委員とはお会いでき、日本大使館公使のお世話で天ぷら料理店で懇談しました。
全委員に説明通知
ステファニさんはだいぶ高齢でしたが、昔は高名なテニス選手で、横浜での試合に汽船に乗って参加したことがある、と元気に話されました。ステファニさんには、岩菅山の開発について反対派と賛成派から25通ずつ手紙が届いており、長野は自然保護問題で相当課題があり、開催は無理かなと考えていた、とのことでした。
そこで、岩菅山は断念し、白馬の既存コースに変更することを説明すると、「それなら問題ない」と納得してくれました。やはりコース変更は正解だったなと胸をなでおろすと同時に、直接会って話してよかったと強く感じました。帰国後すぐ招致委員会事務局に、IOC委員全員に白馬コースの説明通知を出すよう指示しました。
(2014年1月11日号掲載)
=写真=スウェーデンのエリクソン委員(右)と握手