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11 孝子の行い ~10歳の子が父母を助ける~

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 善光寺立町に理助という者がいた。女子1人男子2人の子どもを持っていた。3月24日の大地震の夜、一度に家がつぶれたが、総領の男子と娘はお堂参りに出ていて、後に残った夫婦と末の10歳になる男の子は共に梁(はり)の下になった。

 ところが不思議にすき間があって10歳の子は打たれもせずはい出て、父母の名を呼んだ。父も母も梁の下にはなったが、けがもなく返答。子は「今に助けましょう。そのままじっとしていて」と言って、辺りの手頃の木を拾っててこにし、神に祈ってこじた。すると孝心が天に通じて、まず母が助けられ、2人で協力して父を助け出した。間もなく家は焼失したが、この孝子の行いを変災中の美談となしたという。
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 焼死、圧死と1000人余りもあらんと寺領より届け出た。しかれども、実は幾千人なるか想像もできない。一軒の宿屋に300~400人、あるいは400~500人も泊まっていたという。逃れた者も多かったというが、7割は死んだであろう。そして江戸からもおびただしい参詣人が来ていたので、帰らなかった者が多かったといわれた。

 稲荷山宿だけでさえも旅人800人が死んだというから、善光寺は宿屋坊中までも加えれば、旅人が3千~4千人も死亡したことになる。
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 地震の鳴動は初めから、西からという者があった。また東から、あるいは南から、北からという者があり、聞くところにより一様ではなかったが、私は初めから北西よりの鳴動と思った。また、西条より竹山町辺りまでは鳴動ことに強しという。これは山に響くからであろう。西条では大嵐鳴、清野にては鞍骨山鳴と言う。上高田辺りでは飯縄山鳴と言った。小市御普請所より川中島にかけては鳴動いたって軽く、こちらで聞こえる半分にも達しない状態だった。
(2014年1月1日号掲載)

 
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