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049 手まり ~お正月の喜びに華を添えて~

 おん正々々
  ―手まりうた―
 おん正々々(しょうしょうしょう) 正月は
 松かざり しめかざり
 飾りのしたから出た鳥は
 羽根は十六 目がひとつ
 目がひとつで 舞ってって
 吉原たんぼのまんなかで
 だーれとだれで 石なげた
 男のこども 石なげた
 女のこども かーわいな   (以下略)

      ◇

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 手まりをかたどった巨大な球体が、車や人の行き交う街路を見下ろしている。15時ちょうど、上の半分が持ち上がり、中から着物姿でまりをついて遊ぶ少女たちの人形が現れた。

 10時から19時までの正時ごと、1日10回、時を告げるからくり時計だ。人形の登場に合わせ「てまりうた」の曲が流れる。

 松本市のJR松本駅から歩いて5分足らずの伊勢町通り。市街地再開発事業の完成を記念し、1999(平成11)年に建てられた。

 〈もういくつ ねると...〉。こう指折り数えて待ちに待ったお正月。男の子は、たこを揚げたりこまを回したりして遊ぶ。女の子は、手まりや羽子板が楽しみだった。それぞれ歌を口ずさみながらである。

 さて、どんな歌だったのか―。耳底の記憶を呼び覚まそうとしても、容易に戻ってこない。それほど久しく、身近なところから手まりうたも羽根つきうたも、遠ざかってしまった。

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 冒頭の手まりうた「おん正々々」は、1965(昭和40)年に刊行された長野県音楽教育学会編「信濃のわらべうた」(音楽之友社)に掲載されている。音楽の教師らが、広く全県で採録した204曲のうちの一つだ。

 〈信州の各地には、これに類したお正月のための唄が、いろいろな遊びと結びついて残っている。「おん正々々」はそのなかでも代表的な手まりうたである〉

 こう解説されてもいる。実に数多くの遊びうたが、子どもたちの暮らしの中に溶け込んでいたことが分かる。

 もともと手まりは縁側などに座り、手でまりをつく遊びだった。まりは綿などを詰めて糸を巻きつけたもので、あまり弾まない。だから座ったままついた。

 明治の中ごろ、よく弾むゴムまりが出回るにつれ、屋外の路地などで立ってつくようになる。歌の終わりにスカートでまりを隠したりする遊びだった。

 1950年代までは、決して珍しい光景ではない。やがて車社会に変わり、路上は遊び場ではなくなる。テレビやゲーム機が子どもたちの遊び相手をし、手まりをはじめ路地遊びは、急速に廃れていった。

 あらゆる物が豊かな時代の実現ではある。同時に、お正月を待ちわびた心の興奮が薄れ、わびしさを拭えない。

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 松本平から見上げれば真っ青な冬空に常念岳が、雪を頂いて純白の輝きを放つ。雄大にして厳かに、新春を迎える悠久不変の姿だった。

 〔わらべうた〕子どもたちが口伝えに覚え、歌い継いできた歌。民謡の一種。まりつき、お手玉、縄跳び、鬼ごっこなど遊びながらのものが多い。ほかに数え歌、しり取り歌など内容は多種多様だ。
(2014年1月1日号掲載)

=写真1=からくり時計のある松本市の伊勢町通り
=写真2=手まりをして遊ぶ人形
 
愛と感動の信濃路詩紀行