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68 石黒忠悳 ~泣き顔を拝見しに

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 佐久間象山は、めったに笑わなかったといわれる。威厳を保つためか、笑うと損するためなのかは不明だが、初対面の象山を「ニコリ」と笑わせた人物がいる。日本赤十字社長などを歴任した医学者・軍医の石黒忠悳(ただのり)=写真=だ。

 前回、紹介した力士、雷電顕彰碑文の中で、「今予(象山)雷電の為に斯の碑を識し、亦殆ど将に泣かんとするなり」の一文が添えられている。岩波文庫の『懐旧九十年』にも載っている面白い逸話だが、石黒が述べる経緯は次のような内容だ。

 石黒が14歳から3年間、埴科郡中之条村(現坂城町)にある徳川領、いわゆる天領の代官所陣屋があり、そこに叔父の秋山省三という人がいて、その家に石黒が同居していた。

 そのころ、石黒は漢文を訓点なしで読めるくらいの力があり、力士・雷電の碑を読み、象山にますます会いたくなり、叔父に頼み込んだ。

 ところが、象山という人は公儀から蟄居を仰せつかっている科人(とがにん)で、固く拒否された。

 1863(文久3)年春、江戸からの手紙に「佐久間修理(しゅり=象山の通称)が幽閉から許された」とあり、松代の城下を訪ねて投宿。

 象山在宅の表門を訪ねて女中に名刺を出して、「わざわざ越後から出て参りましたので、お取り次ぎください」と申し入れた。

 その女中が「誠に気の毒でございますが、添書(紹介状)のない方には一切お目に掛かりませぬから、お断り致せと申し付けられました」と言う。だが、やっと、添書を手に入れて面会。「どういう用向きで来たのか、承ろう」と象山。

 「私は『先生の泣き顔を拝見に出ました』と言うと、じっと私の顔を見つめられていた。
 そして力士、雷電の碑文を、全文そらんじた上、『今予、将に泣かんとするなり』という、その泣き顔を拝見しに来ましたと申したところ、象山先生は『奇なり(面白い)、奇なり』といってニコリとほほ笑んだ。それから、話が進み、翌日も朝から教えを受けた」―という。
(2014年1月11日号掲載)

=写真=岩波文庫『懐旧九十年』から
 
象山余聞