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78 おむつ・おしめ談議(上)

 「おむつ」は「御襁褓」と難しい字を書く。「むつ」は「むつき」の略で、生まれたばかりの子の産着を指すのだそうだ。排せつ用のおむつは、今日では「おむつ」が一般的だが、ひところまでは全国的に「おしめ/しめし」と呼ぶのが普通だった。

使って使って使い切る
 この標題からどんなこと(世代・時代)が思い描けるのか―を、そばにいた80歳を過ぎたという女性たちに伺ってみると、即座に「とことん働く、もう見られなくなった懐かしい風景...」という答えだった。「?」という世代の人には「繕って、繕って、繕い切る」と言えば、補足説明になるだろうか。私は「時代背景が見えてくる」というような言葉や答えを聞き出したかったのだった。

 ひところ流行った「かあさんの歌」にこんな一節がある。

かあさんは 麻糸つむぐ 一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
お前もがんばれよ ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい

 本当に時代がよく見えてくる。昔(昭和30年ごろを境として)の生活実態からすれば、祖母や母の夜なべの針仕事は、時代の象徴的な姿だった。「お前もがんばれよ」は、郷里を離れて異郷で暮らし働く青年たちの琴線を締め付け、奮い立たせたのではなかったか。

 おむつから見えてくる時代相
 おむつは必需品だったが、買ってくるものではなかった。襦袢(じゅばん)やシャツなど着古したものを、手縫いで再生した。したがって布地・色柄・サイズなどはまちまちで、物干し場の風景はとりどりだった。汚れれば洗い、使えるだけ100回でも200回でも使った。使い捨ては考えられもしなかった。

 おむつとして用がなくなると、雑巾に仕立てる。それさえも不用になれば、ネズミの出入りする穴塞ぎに使ったという話もあったほどだ。「もったいない」という思想は、日本が長年培ってできた体質そのものであり、日常普遍の生活スタイルだった。捨てる文化と無縁の時代は、昭和40年ごろまでだったと言えようか。

 盥(たらい)の前でしゃがんで洗濯物をゴシゴシ洗う風景は、女たちの仕事として全国どこでも見られた庭先風景であったが、今にして思えば、「ありがとう」を超えて手を合わせたくなるような姿だ。日差しがいい時、盥に水を張っておくと、夏場などはたちまちお湯となり、それを日向水と言った。洗い終えた汚水も、捨てずに打ち水にしたり、肥料になると言って、ナスやキュウリに分け与えたりした。

 庭先にとりどりのおむつや日常着の様々を三段掛けにする、日向水を用意する、シコシコと雑巾を縫う、家事労働を子どもに分担させる...。そこにはささやかな平和と生き生きとした生活風景が流れていた。

 おむつから、物干し場から、盥から、便利、功利一辺倒へひた走った時代の日本が見えてくる。時代背景までが読みとれるのである。 「日本が貧しさの故に、高貴な魂を失わなかった頃」(大仏次郎)。そんな時代があったのだった。
(2014年1月18日号掲載)
 
美しい晩年