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大阪・兵庫11 楠露(くすのつゆ)~楠公父子の別れ~

 〈あらすじ〉 楠正成(くすのきまさしげ)は、都に攻め上ってくる足利尊氏(あしかがたかうじ)の大軍を防ぐため、摂津に下った。その途中「桜井駅」で、11歳のわが子の正行(まさつら)と家臣の恩地満一(おんちみつかず)を招き、正行に故郷に帰るよう言い、満一に正行の補佐を命ずる。正行は父と最期を共にしたいと言い張るが、叱られて仕方なく承服する。正成がいろいろ教訓し、満一が別離の舞を舞った後、2人は泣く泣く河内に帰って行く。

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 忠臣・楠正成父子の決別を描いた太平記「正成兵庫に下向の事」を脚色した。物語では正成がこの後、湊川で尊氏の大軍に敗れて討死し、まさに今生の別れとなった。

 謡曲の作者は、信濃とも関係がある観世流23世の清廉(きよかど)といわれる。長野市泉平にある神代桜を題材とした謡曲「素桜」を仕上げ、1898(明治31)年春、同曲の完成を祝った能楽会に出演した。その時の記念碑が神社の境内にある。

 この「明治の新作」である「楠露」の評価はどうか。観世の謡曲本は「室町の創作期の作品に比べて芸術性が消え、いたって平板。能の新作を試みようとする者は、よほどの見識を持たない限り、成功はおぼつかない」と手厳しい。そんな批判や、行き過ぎた戦前の忠君愛国の反省もあって、現在この曲はあまり謡われていない。

 舞台となった桜井駅跡は、大阪府三島郡島本町。JR東海道線(京都線)島本駅の真ん前にある。私はそれを知らず、タクシーで訪ねるつもりで駅前に立った。ふと前を見ると「国史跡桜井駅址」と大書した石碑が立っている。近寄ると、史跡の案内図や謡曲史跡保存会の駒札もある。目指した桜井の史跡だった。

 ここには最近まで、阪急京都線の水無瀬駅で下車して10分ほど歩いてきた。それが2008(平成20)年3月、史跡の前にJR京都線の島本駅が新しく誕生した。かつての人馬の宿場駅が電車駅に変わった、といってよい。

 駅前は「青葉茂れる桜井の...」と文部省唱歌でも歌われた青葉の森が、すべて切り払われて広場となり、戦後、一時荒れていた史跡も、こぢんまりした公園になっていた。園内には東郷元帥筆による明治天皇の歌が刻まれた巨大な石碑、乃木大将筆の記念碑、近衛文麿筆の「滅私奉公」の碑文、その上の楠公父子の石像など。いつかの時代に逆戻りしたような公園だった。

 片隅のベンチで文部省唱歌を口ずさんでみた。1番だけだが、覚えていた。子どものころの記憶というより、ペギー葉山がひところ歌っており、それで「再入力」されたのかもしれない。歌詞はともかく、その哀愁のある旋律には、いまでも胸がキュンとなる。

(2014年1月25日号掲載)

=写真=公園内にある楠公父子の石像


 
謡跡めぐり