記事カテゴリ:

大阪・兵庫13 須磨源氏(すまげんじ) ~若き日の光源氏~

 〈あらすじ〉 日向国・宮崎の神官が伊勢神宮参拝の途中、須磨の浦に立ち寄ると、老いた木こりが山影の桜を眺めている。由緒ある木かと尋ねると「光源氏(ひかるげんじ)の住まいにあった桜」と答え、問われるままに、光源氏の生涯について語り、自分がその源氏であることをほのめかして消える。神官が旅寝していると、若い日の光源氏が現れ、「迷える人々を助けるために天上から下ってきた」といい、音楽に合わせて舞を舞う。

      ◇

13-yoseki-osaka-0208.jpg
 光源氏が一時、須磨で過ごしたことは、「源氏物語」の「須磨」「明石」の巻に詳しい。朱雀帝(すざくのみかど)の寵愛を受けていた朧月夜(おぼろづきよ)との情事が明るみに出て、官位を剥奪された光源氏は、さらに流罪を避けるために、自ら須磨に移ってきた。ここでしばらくわびしく暮らすが、明石に移って、受領(国司)の娘の明石と結ばれ、子までもうけてしまう。隅に置けないプレーボーイである。

 それはともかく、謡曲はその須磨を舞台とし、若き日の光源氏をシテ(主役)として登場させ、「源氏五十四帖」を巧みに取り入れている。同じように物語全体を織り込んだ謡曲「源氏供養」は成仏できないで苦しんでいる作者の紫式部をシテとしている。いずれも世阿弥元清の作とされており、両曲を対比してみると面白い。

 「須磨源氏」の舞台は、神戸市須磨区須磨寺にある現光寺。光源氏の「わび住まい」跡に建てられた寺とされている。かつては「源氏寺」とか称していたが、平清盛の平家隆盛時代に、圧力を恐れて現在の名前に改めたという。

 現光寺へはJR「須磨」駅か、山陽電鉄「須磨寺」駅から徒歩5,6分。道路より小高い丘にある。1514年浄教上人の開祖といわれるが、寺院全体が新しい。阪神・淡路大震災で崩壊し、2002年に再建された。新しい本堂のふすまや天井には、京都から招いた絵師により、源氏物語の名場面や花鳥が描かれ、華やかな平安絵巻の世界に導いてくれる。

 門前には、かつての名称である「源氏寺」と刻まれた大きな自然石の碑が据えられ、裏面に源氏物語の一節が刻んである。以前は寺から北西20メートルほど離れた所にあったが、大震災後の道路整備で門前に移された。境内には「須磨の月」にひかれて訪れた芭蕉の句碑や、結核を患い当地で療養した正岡子規の句碑もある。

 同寺から10分ほど北に歩くと、須磨寺がある。源平合戦の一ノ谷で、熊谷直実(なおざね)が若き敦盛(あつもり)を討ち、無情を感じて弔った寺だ。埋葬した首塚は今回も線香が煙っていた。須磨寺から現光寺を巡るのがルートだというが、謡曲や古典愛好家としては、一度は訪れたい「須磨の里」である。
(2014年2月8日号掲載)

=写真=現光寺にある「源氏寺」の石碑
 
謡跡めぐり