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14 決戦の日 ~「勝たねば」思い強く 度胸決めてスピーチ~

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 英国のバーミンガムで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会では、1991(平成3)年6月15日に98年冬季五輪の開催都市を決める委員の投票が行われました。
 前日の昼ごろ、懇意にしていたバーミンガム市の総会責任者・チェイニーさんが来て、「サマランチ会長もツバイフェル事務総長も長野が強いと言っている。あす決まれば、すぐ契約書にサインすることになるので、サインペンを用意しておくように」と耳打ちしてくれました。
 また、会長秘書のアニーさんが「『ナガノ』 のアクセントをきちんと教えてほしい」と言ってきたので、しっかり教えてあげました。これらは翌日の投票予測のサインでもありましたが、油断大敵なので皆には内緒にしておきました。

 爽やかな目覚め 
 前夜には英国オリンピック委員会会長のアン王女主催の招待レセプションがありました。会場の市郊外の古城に到着すると、バッキンガム宮殿と同じ赤い服の衛兵20人ほどが乗馬姿でラッパを吹きながら歓迎していました。

 入り口でシャンパンなどを渡され見学していくと、1部屋には大形の素晴らしい古伊万里の(壺)(つぼ)が20点ほど展示してありました。

 江戸時代に日本からはるばる英国まで運ばれてきたのかと見入っていると、IOC委員の皆さんが次々に寄ってきて「グッド・ニュース」「ストロング・ナガノ」などと言って、握手をしてくれました。

 レセプションでは、同じテーブルにソルトレークシティー招致団のコラデーニさんもいました。彼女は後に市長になり、長野の閉会式で私が五輪旗を手渡した女性です。楽しい晩餐会で、翌日の勝負を控えてリラックスできました。

 「運命の日」の朝の目覚めは爽やかでした。いよいよ決戦ということで気力も十分。ホテル前では長野の皆さんが小旗を振って懸命にアピールしており、ご苦労さまと感謝し、あらためて「勝たねば」との思いを強くしました。

 長野のプレゼンテーションは、まずIOC理事の猪谷千春さんが出席者を紹介。長野を紹介するビデオ映像に続いて、招致委員会会長の吉村午良知事が「開催計画ができ、国民も支持している」と訴えました。JOC(日本オリンピック委員会)の古橋広之進会長は、アジアで4半世紀ぶり、2度目の開催をアピール。海部俊樹総理大臣がビデオで政府の全面支援を約束して、私の出番になりました。

 肩の力が抜ける
 登壇すると、口の中で「一つ、二つ、三つ」と数え、会場を見渡すとサマランチ会長やアン王女の姿が見えました。「よし、これなら落ち着いてできるぞ」と度胸を決め、ゆっくりと英語でスピーチを始めました。「旅費の一部を負担する用意がある」と述べた部分で、米国のアニータ委員が身を乗り出したのが分かりました。

 私の後、和服姿の伊藤みどりさんが選手の立場でスピーチ。吉田総一郎さんがボランティア活動について述べ、最後に世界的指揮者の小沢征爾さんのビデオメッセージを流して約1時間のプレゼンが終わりました。

 降壇すると、フィンランドのトールバーグ委員が「ウエル・ダン(よくできた)。エクセレント(素晴らしい)」と親指を挙げて叫んでくれ、肩の力が抜ける感じでした。

(2014年2月15日号掲載)


=写真=プレゼンテーションを行う長野招致団の代表(信濃毎日新聞社提供)
 
塚田佐さん