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15 The city of NAGANO 待ちに待った瞬間 4票差で過半数制す

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 バーミンガムでのIOC(国際オリンピック委員会)総会は、立候補都市のプレゼンテーションが全て終わったところで委員による投票が行われました。そして、いよいよ結果の発表を待つことになりました。

 1991(平成3)年 6月15日17時半ころ(現地時間)会場に入ると、各都市の様子が衛星中継で画面に流れていました。長野では善光寺境内で発表を待つ3500人もの人たちの心配そうな表情が映し出されており、何とか勝利して帰国したいと願ったものです。

 19時ごろ、少し発表が遅れると連絡があり、緊張して待つと程なく委員の皆さんが入場し、全員が壇上にそろうと最後にサマランチ会長が入ってきました。

一瞬間を置いて発表
 会場の皆が起立してオリンピック讃歌を歌い終わると、会長が投票管理のIOC委員から封筒を受け取り、おもむろに封を切り取りました。そして、一瞬間を置いて発した言葉は「The city of NAGANO」。

 19時28分(日本時間6月16日3時28分)、待ちに待った感激の瞬間です。私たちは皆、躍り上がって喜びました。間もなく場内アナウンスがあり、壇上に上がって古橋JOC会長、吉村知事らと共に契約書に署名し、サマランチ会長らから祝福の握手を受けました。

 その後も内外メディアの取材が殺到して大変でした。記者会見では、長野の交通アクセスや競技施設の課題などに質問が集中。NHKの朝6時のニュースでライブ放映されたインタビューに疲れの色を見せないように出演し、午前2時ごろ夕食を済ませると、ベッドに倒れ込んで寝てしまいました。

 投票はIOC委員92人のうち3人の欠席者と会長を除く88人で行い、最下位を外していって5回目でソルトレークシティーをかわしました。46票対42票。わずか4票差で過半数を制したのです。

 翌日は精いっぱいやったという達成感と、体中の力が抜けたような虚脱感もありました。それもつかの間で、開催都市・長野主催の昼食会を催し、サマランチ会長をはじめオリンピックファミリーら約千人が参加して盛会でした。

 夕方にはIOC主催のレセプションがありました。そこでは「コングラチュレーション(おめでとう)」と会う人ごとに握手攻めでしたが、長野支持と思っていた委員が顔を背けるなど、様々な人間模様を見ましたね。

長野駅前に2千人
 翌18日朝(日本時間)帰国し、海部総理や衆参両院議長に報告して信越線に乗り込みました。途中、上田駅で爆破予告騒ぎがあり、30分ほど遅れて発車し、長野駅に到着しました。

 駅前広場での決定報告は、約2千人の皆さんに出迎えていただきました。吉村知事は「この結果は6年間の県民の支援のおかげ。世界の人々が喜ぶ冬季五輪にしたい」と感謝。私は「長野の将来を考え、市民に共感の持てるオリンピックにしたい」と決意を述べ、県警音楽隊を先頭に全員で市民会館までパレードしました。

 疲れていた私も長野の皆さんに歓迎されて元気をもらい、久しぶりに帰宅してぐっすり眠ることができました。決戦を制したのは、県民・市民の皆さまの熱意と、各界各層の懸命の努力のたまものであり、「天の時、地の利、人の和」の勝利でした。
(2014年2月22日号掲載)

=写真=開催都市に決定、吉村知事と喜ぶ(信濃毎日新聞社提供)
 
塚田佐さん