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80 おむつ・おしめ談議(下)

 「使い切る」の向こうには節約、もったいないという生活習慣があり、時代思潮がある。手間暇をいとわず、それなりの時間と労力がかかることを当然としている。元はといえば、買ったものを―でなく、作ったものを―であった。

 それに対して「使い捨て」は便利、功利が先に立ち、全て金で処理する。捨てるに当たっては業者任せで焼却炉へ運んでもらう。要するに万事ごみというわけだ。そのほとんどが買ったものである。

 以上はおむつを念頭においてのことだが、実はこの仕組みはおむつだけの問題でなく、今日の日常生活万般にわたる事象だといえる。見事に世相(時代)を演じているといってもよかろう。

 おむつの 種類など

 おむつは今日、男性用、女性用、それも体格によって大、中、小や尿の多少、夜用と昼用、頻度数、体調(かぶれ、下痢)など、多様な種類がある。ニーズによって親切、丁寧は、おむつ生産側の基本姿勢だ。おむつメーカーは品ぞろえに心を配り、排せつケアの研修も行われ、企業のコマーシャル合戦も盛んだ。成長産業だというおむつ業界の裏側は、激しい競争社会なのだ。

 そして、おむつを必要とする要介護の認定者は、2012(平成24)年に533万人。この10年で倍に増えたという。私たちはそういう時代に生きているのだし、また生きねばならない。ついでに言えば、介護施設などでのおむつ交換の平均は一人1日当たり6~7回だという。

 介護現場の悩み

 端的にいって介護現場は実に厳しく、課題が山積している。とりわけ「末よければすべてよし」、人生の終末は、かくありたいと願う側からすると、その感が一層深刻だ。

 その要因は現場の介護側よりも、市町村、県、国の大所高所の側にあることを指摘しておかねばならない。政争やスキャンダルに明け暮れ、統治者の理解、見識の貧困、政策の不備はいかんともし難い。よくある話だが、要するに末端のことが全く分かっていないのだ。

 じいちゃん、ばあちゃんを安心して預けられ、「いいところで、良かったね」があちこちから聞こえてくるのが時流になるまでには、程遠い。介護士の現場は、仕事がきつ過ぎる、手当が少なすぎる、なり手がないというのだ。手当を増額すれば済むというだけの話ではない。介護要員の絶対数が足りないのである。

 そんな中、こんな話も聞こえてくる。ふん尿の始末をしてくれる介護士に対して「申し訳ありません。ありがたいことです」と手を合わせる家族もあれば、「あなたはそれが仕事で、給料をもらっているんだろ、しっかり頼むぞ」と言わんばかりの態度も...。

 繰り返しになるが、おむつから変わりつつある日本が見えてくる。原発だ、秘密保護法だ、東京五輪だ、ソチだ、靖国だと騒いでいる裏側で、それまでなかった日本がつくられつつある。

 他人事ではない、誰にとっても必ずやってくる、切実な問題としてそこにある。そして介護するのは本当に大変なことだが、介護される方がもっと大変だ、という声も聞こえてくる。瞬く間に時は過ぎてゆく。

(2014年2月1日号掲載)
 
美しい晩年