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14 幕府の届け ~せき止め破り激流一気に~

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 松代藩の1847(弘化4)年4月18日付の幕府への届けの内容は次のようであった。

 私の在所である信州松代では、先立ってお届け申し上げた通りの大地震で、更級郡山平林村の岩倉山が抜け崩れ、犀川を2カ所にわたってせき止めました。

 そして川の水がたまって数10丈(1丈は約3メートル)の深さになり、1、2日前よりは水が漏れ始めました。2カ所のうち下の方のせき止め場所を乗り越えるにはまだ2丈余りもありましたが、にわかに押し破ったと見え、13日の夕方7時過ぎ、右の山の方が大いに鳴動し、ごうごうと瀬鳴りの音が聞こえてきました。

 一時に激流が押し出し、たちまち左右の土手を押し切り、あるいは乗り越えてきて、これを防ぐすべもないことが、川方役人たちよりおいおいと連絡が入りました。間も置かず、川中島の数10カ村一円は激しい押し水となり、その水は千曲川に流れ込み、逆流して、居城の松代城の際まで迫ってきました。

 夕方から九つ時までに、千曲川は普通の水位より2丈ばかりも増水し、川中島はもちろんのこと、高井郡、水内郡下の川沿いの村々は水中に浸(つ)かりました。川の流路が新たにつくられたように見えるところも、おびただしい数に上りました。夜中過ぎになると、ようやく水位も定まったように見え、明け方になると、次第に水が引き始めました。

 前々より、各村々の者たちには水防の備えを申し付けておきましたが、大量の水が予想を超えて急激に押し寄せたので、流された家はもちろんのこと、溺れ死んだ者も数多いことと思います。

 その上、損地も多くできたことと心を痛めています。詳しいことは取り調べの上、ご報告しますが、まずもってお届けいたします。以上
(2014年3月15日号掲載)
 
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