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16 NAOCが発足 ~資金確保や大会運営 スタッフは約千人に~

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 1991(平成3)年6月の英国バーミンガムでの98年冬季オリンピック開催都市発表の後、7月8日には県内の長野開催決定祝賀会が開かれ、8月6日には東京でもお祝いの会がありました。

 そして10月4日の長野冬季オリンピック招致委員会の第4回総会で事業・決算報告を行い、解散決議のうえ精算人を選定して、招致委は任意団体としての役割を終えました。

 招致委の総予算は約23億円でした。収入は県からの交付金約6億円、開催市町村の負担金2億3千万円、経済界からの寄付金10億8千万円などです。支出は渉外活動費10億円、広報費約7億円、事務費1億円などで、剰余金2億2千万円は長野オリンピック冬季競技大会組織委員会(NAOC)に寄付しました。

 帳簿紛失は遺憾
 2020年東京オリンピックの招致活動費は、公表されているもので前回が150億円、今回が75億円。合計225億円です。夏季と冬季の違いはあるものの、長野は効率よく活動したといえるでしょう。

 しかし、後に住民団体から招致活動費の情報公開請求があり、帳簿の紛失が大きな問題になりました。招致委は任意団体でもあり、収支報告は解散総会で承認されていて、法的には問題なくても残念なことであったと深く遺憾に思っています。

 招致委の解散後、開催都市決定から6カ月以内の11月27日、財団法人長野オリンピック冬季競技大会組織委員会が発足しました。財団設立のために日本オリンピック委員会(JOC)が6千万円を拠出し、開催都市の長野市が4千万円を負担して、1億円の基本財産としました。

 会長には元経団連会長の斎藤英四郎さんが就任。副会長には吉村午良知事、古橋広之進JOC会長、堤義明全日本スキー連盟会長、それに長野市長の私が選ばれ、事務総長には津田正元自治事務次官が就きました。

 津田さんはその後体調を崩され、2年後の4月に私と長野高校の同級生で、やはり自治省の事務次官を務めた小林實(まこと)さんと交代しました。互いに気心が知れていたので、やりやすくなりました。

 14の専門委を設置
 NAOCは五輪開催の資金確保から、大会運営のすべてを受け持つ組織です。企画財政、マーケティング、競技、広報、メディア、オリンピック村、文化プログラム、輸送警備、医事衛生、式典など14の専門委員会を設置。中央省庁、県、市町村、企業から出向した約千人のスタッフが、初めての仕事を担当するわけですから大変なことでした。

 NAOCは、「愛と参加のオリンピック」を目指し、「子どもたちの参加」「美しく豊かな自然との共存」「平和と友好の祭典」をテーマとすることに決定しました。

 私の市政に対する基本姿勢は、市民の皆さまに喜んでもらえる住みよい都市づくりを進めながら、多くの方々に歓迎される五輪を実現することでした。

 市民アンケートで要望の多かった生活道路や下水道の整備、新幹線など高速交通網の整備促進、社会福祉の拡充、市民病院建設など保健医療の充実、教育の推進に積極的に取り組みながら、オリンピックの準備を進めることを心に誓ったものです。
(2014年3月1日号掲載)

=写真=NAOCの発足総会であいさつする斎藤英四郎会長

 
塚田佐さん