
1991(平成3)年6月に98年冬季五輪開催都市が長野に決まってから、翌92年2月にはフランスでアルベールビル冬季オリンピックが開催され、視察に行きました。
開会式の選手入場行進では、冬季五輪の参加選手が少ないアフリカからただ一人、その国の旗を持って選手が入場してくると、万雷の拍手が会場いっぱいに響き渡りました。選手も感激しており、式典の最後に輪になって踊る姿はまさに「平和の祭典」を象徴する感動的な光景でした。
この時は、荻原健司選手らのスキーノルディック複合団体の金メダル授与式に立ち会うことができました。伊藤みどりさんが銀メダルに輝いたフィギュア女子シングルの会場も超満員でした。
後利用の説明聞く
施設については、後利用でプールにするというアイスホッケー会場や、リュージュ・ボブスレー会場、選手村、マンションに使うメディア村、ショッピングセンターとして活用する報道センターなどを参考に見て回りました。
市役所での昼食会招待もあり、3年前に表敬訪問したときの私の署名を懐かしく見ました。ホールに置かれていた五輪旗を、これが次回開催地のリレハンメル(ノルウェー)を経て長野へ来るんだと感激して眺めていると、市長から「今すぐ長野へ持っていってもいいですよ」とからかわれ大笑いになりました。
この年は夏季オリンピックがスペインのバルセロナで開催され、IOC(国際オリンピック委員会)の理事会・総会に出席して長野五輪の準備状況を報告するよう求められました。席上、長野の準備は順調に進んでいると報告し、質問に答えたところ、サマランチ会長から「エクセレント・リポート(優れた報告)」と評価されました。
この総会では、スキーのフリースタイル、エアリアル、女子アイスホッケー、カーリングが長野から追加されることになりました。ここでも報道センター、選手村などを視察し、後利用の説明を受けました。
開会式のセレモニーは華やかで素晴らしく、サマランチ会長は地元とあって挨拶も誇らしげでしたね。選手団の入場では、湾岸戦争でイラクが会場からブーイングされ、クウェートは盛大な拍手で迎えられました。ベルリンの壁が取り払われたドイツや東欧の独立諸国にも大きな拍手が送られ、国際情勢を色濃く反映していました。
競技では、女子マラソンで有森裕子選手が銀メダルを獲得したのが印象的でしたね。
施設名を商標登録
12月には白馬ジャンプ台の建設が完了して祝賀会が開かれました。長野市では競技施設の愛称を全国から募集して名付けました。その中でビッグハットは、テレビで「既に商標登録されている」との報道があり、綿貫国際特許・商標事務所長の綿貫隆夫さんに相談しました。
綿貫さんには直ちに相手方と交渉していただき、「五輪施設だから」ということで理解してもらい事なきを得ました。以後、五輪施設については、全て商標登録を取りました。
綿貫さんは後に中野市長として活躍され、会合などでお会いするたびに、この話をして感謝したものです。
(2014年3月15日号掲載)
=写真=アルベールビル五輪のノルディック複合団体のメダル授与式会場