記事カテゴリ:

35 大笹街道 臥竜山 ~一帯に百番観音 祈りの空間~

35-kizuna-0308p2.jpg
 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼(すず)しかりけり」と道元禅師は詠んでいる。厳寒の中、残雪深い須坂の臥竜山から坂田の天徳寺を巡る。

 2月23日、長野電鉄日野駅で降り、百々川沿いに臥竜山を目指す。約1時間の雪道で古刹(こさつ)興国寺に着き、本尊釈迦如来に一日の無事を祈願し臥竜山に取り付く。市民に親しまれるこの山は「(一帯に)百番観音の石像を建立す。竝(なら)びに熊野三社、松尾明神...を勧請す」(長野県町村誌昭和10年)と記された多彩な祈りの空間でもある。

 南口登山道より登ると、大きな2体の石像がお出迎え。陽光を受けた百番観音の秩父1番、西国33番の観音像碑に十句観音経を奉誦。

 百番観音は、江戸中期の1766年から数年かけて地元の篤志家が、秩父、坂東、西国札所を巡拝し、土を持ち帰って臥竜山一帯に埋めて石像を建立した。

 雪を一歩、一歩と踏みしめ山頂に向かう。5体の石像を過ぎると、観音堂への分岐で小休止。残雪の深さを考え、百番観音全部の回峰は後日とし、先に進み、間もなく山頂だ。

 南側の陽だまりで昼餉(ひるげ)。雪化粧の濃い北信五岳は、銀色の千曲川を前にして三寒四温の到来を待っている。

35-kizuna-0308p1.jpg
 体の冷えを待たずに北口登山道を下る。南口とは様変わりで、丸木段の道は膝までの雪に没している。一足、一足ラッセルしながら雪中行軍の難儀が続く。4体の石像を過ぎて、やっと麓に到着。

 雪中歩きの疲れを押して、大笹街道を坂田地区に向かう。間もなく天徳寺への参道入り口で、大きな案内(あんない)弘法の石碑が立っている。これは地元有志が参道開設を記念して約330年前の江戸中期に建てた。「村持ちの寺」天徳寺は、信濃新四国八十八カ所の87番札所で、その道標である。石碑には「新四国八十八ケ所案内」の文字と弘法大師のお姿が刻まれている。写経を納誦。

 坂田地区では、案内弘法講を設立し、毎年5月には天徳寺住職を導師として祭事を行っている。市川美勝(よしかつ)講長は「先祖から継承した心豊かな伝統行事をきちんと実施し、次の世代へ続けていく」と力強く語った。

35-kizuna-0308m.jpg
 ほのぼのとした心で参道の坂を上ると、間もなく本堂である。本尊の釈迦如来に観音と弘法大師に導かれた一日を感謝して帰途に就いた。「ありがたや行くもかえるもとどまるも われは大師と二人づれなり」。次は信越国境・関田山脈の富倉峠を歩く。
(2014年3月8日号掲載)

=写真上=天徳寺入り口の案内弘法の石碑
=写真下=観音像が刻まれた石碑
 
絆の道