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81 共働学舎 宮島真一郎さん(上)

 小谷村で「共働学舎」を経営する宮島真一郎さんについて述べたい。日本で先生と呼ばれている人はどれほどいるか見当もつかないが、その中で「最も」という名にふさわしい一人が宮島さんではないかと思っている。

時計の歯車には大小あるが...
 時計の裏の蓋(ふた)を開けると、大小様々な歯車が動いている。折り重なって見えないところもあり、歯車の大きさや数は知る由もないが、大小に関わりなく、どれ一つが止まっても、時計は止まる。どの歯車にもそれぞれの機能があり、それらの協働によって時を刻む。

 人の世も同様である。「政治体制がどんなに変革されても、心の中に真の価値についての変革が起こらぬ限り、日本の社会は根本的に改善されないと信じます。私たちは競争社会よりも協力社会の方が、人間として豊かになり得ることを、そして人格と人権とが神の前にすべて平等であることを信ずる時に、初めてそれが可能となることを実証しなくてはなりません。共働学舎はこの願いと祈りとをもって創(はじ)められた独立自活を目指す教育社会、福祉集団、農業家族です」

 こう語る宮島さんも今年は満91歳になり、両眼は視力を失われたと聞く。

宮島哲学をひっ提げて
 宮島さんの考えを要約すると、以下のようである。
 「個人の考え方やあり方に相違があっても、社会全体としては競争社会であることが根本的な問題である。競争社会は当然勝者優先となり、勝てない人は駄目な人、役に立たない人と思われ、差別と不平等の意識が生じる」

 「多様であるゆえに一致するときにこそ価値がある人間の生命に、可能性を見いだしつつ育てるところに、教育の使命がある。それから離れると、取り返しのつかない結果を必ず生ずることを憂う」

ひとりで農作業を始める
 「戦争が私の人生を変えた」という宮島さんは、東京の自由学園で教師をしていたが、50歳のとき辞表を出し、妻子を東京に置き、小谷村の立屋(たてや)地区に小屋を作り、ひとりで農作業を始めた。

 宮島さんのもとに、全国各地から知的障害や自閉症などの子どもたちが、ぼつぼつと集まってきた。宮島哲学に共鳴する賛助者たちも名乗りを挙げてきた。

 共働学舎が創設されたのは1973(昭和48)年8月。以来40年余、大勢の青少年たちが学舎を巣立った。福祉系大学をはじめ、宿泊研修も後を絶たないようだ。

 共働学舎で5歳の息子と生活することになった東京の学舎生は次のような声を寄せた。
 「真の幸せとは何かを考えた時、たどりついた一つの結論が共働学舎の生き方でした。それは私自身を見直すことであり、人間の本質を考える機会と考えています」
(2014年3月15日号掲載)
 
美しい晩年