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16 山崩れ ~八方へ崩れ樹木は見えず~

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 私(河原綱徳)は、崩れた所が滝になるという説は、いかにも信じ難いものがあったので、横目役の佐久間修理(象山)に易で判断させたところ、次のような答えであった。

 (1)西北の山上より抜け出る象(かたち)がある
 (2)水は東南に走る象あり
 (3)大きな洪水が起こり、それは到底、人の力では止めることはできない。

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 せき止められた犀川が干上がってしまったので、川辺の人々は水たまりでマス、コイ、ナマズ、ドジョウ、そのほか様々な魚をことごとく拾い取ったという。このような大河が19日間もせき止められることなどは、後世にもまたとないことである。不思議な天変である。(日記以外の言い伝えも含む)

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 山中の日名、大原の辺りでは、高い所へ家財を運び、小屋掛けして水を避けていたが、小屋と共に家財全てを犀川へ引き落とされたものも多かったという。

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 用務の合間に土手に上って遠眼鏡で西の山々を見ると、山崩れがいかに大変なものか分かった。山は八方へ崩れたといわれたが、そのとおりだった。

 一面に崩れており、中には切り立った崖のようになった所もあり、さながら兀山(こつざん)(高くて上が平らな山)のようだ。樹木らしいものはほとんど見えない。これを見ても、この近くの村々の変化がいかばかりかと推量できる。その前山である橋詰村の奥は、これまた大抜(おおぬけ)であったが、人家は立派に見える。

 その次に見える大抜は倉並(くらなみ)村である。この村は小松原村の上に当たる。抜口(ぬけぐち)の長さは20丁(約2キロ)に及ぶとみられる。抜下(ぬけした)にわずかの人家が見えるだけだ。この村は戸数44軒、人口は235人であるが、5軒残っただけである。39戸の軒数と60余人が土中に埋められた。

 また、坪根村もよほどの抜があり、さらに山田中村での抜口は1里(約4キロ)にも及び、戸数39軒と42人が埋められた。抜け際の上に、今も抜け落ちそうになっている家が見える。
(2014年4月19日号掲載)
 
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