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20 旅費負担問題 ~プレゼンが尾を引く 冷却期間を置き決着~

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 「できるだけ多くの国の選手に参加してもらうことが、大会の成功にとって不可欠です。そのため私たちは、IOC(国際オリンピック委員会)と相談の上で、選手の旅費の一部を負担する用意があります」

 1991(平成3)年6月、英国バーミンガムでの開催都市決定の際の私のプレゼンテーションが、だいぶ問題となって後々まで尾を引きました。

 招致を争った他都市の「(極東の)長野は遠いので旅費がかかり過ぎる」というネガティブキャンペーンに対抗するための発言でしたが、週刊誌などでは「(そこまで負担すれば)長野市は財政が破綻する」などと大げさに書かれていました。

IOC会長に説明
 この問題は94年3月の長野市役所での私の定例記者会見でも質問があり、「発展途上国の選手のためにチャーター便(当時、1機約6千万円)の用意を考えている」と答えました。

 その記者はなおしつこく質問するので、「NAOC(長野五輪組織委員会)がIOCと協議して決めることで、市は負担しません」と発言したことが、また問題になりました。今度は「長野市は国際公約を守らない」と報道され、大変困惑しました。

 そのころは94年度予算案を審議する市議会が開会中でしたが、休会にしてもらい、閉会式でパラリンピック旗を受け取るためにリレハンメルへ3回目の訪問をしました。

 IOCのメンバーと同じホテルに宿泊し、3月20日朝、ホテル内の会長室を訪ね、サマランチさんにお会いしました。旅費問題について私が真意を説明したところ、会長は「チャーター便はアメリカに1機、ヨーロッパに1機出せばよい。何なら今ここからJAL(日本航空)の社長に電話をする」と言うのです。

 私は慌てて「会長の方針は理解したので、後は任せていただきたい」と答え、この件は今すぐ結論を出さず、NAOCの小林實(まこと)事務総長にお願いし、少し冷却期間を置いて決着させるので了解してほしい、ということで話をまとめました。

 サマランチ会長の机の上には、五輪スポンサーのコカコーラの瓶がいつも置いてあり、コーラを飲みながら話し合いました。その中で「世界の報道は長野を狙っているので、メイヤー(市長)も気をつけて」と笑い話も出ました。

チャーター便出さず
 3月も後半になると、さすがに寒さ厳しいリレハンメルも雪が解けてきて、ホテルの窓辺のシラカバの木では小鳥がさえずっており、だいぶ感傷的になったものです。世界の人々が集うオリンピック、パラリンピックのあの大盛況は何だろう。 世界中の人々を引きつける五輪は「地球の平和」への永遠の希望ではないか、などと考えさせられました。

 旅費問題は小林事務総長はじめNAOCスタッフの努力で、最終的に▽チャーター便は出さず、IOCの助成対象を除く全ての参加選手を対象に渡航費を補助する(役員は対象外)▽助成は1人当たり千USドルを限度とする▽NAOCの負担額は約1億7千万円(1ドル=100円で算出)―ということで決着し、96年4月にアテネで開かれたIOC臨時理事会で決定されました。
(2014年3月29日号掲載)

=写真=リレハンメルの閉会式でパラリンピック旗を受け取る
 
塚田佐さん