
1996(平成8)年には、五輪開催に向けてフィギュア・ショートトラックのスケート会場「ホワイトリング」をはじめ、ボブスレー・リュージュ会場の「スパイラル」、1周400メートルの屋内スピードスケート会場「エムウェーブ」が順次完成し、竣工式が行われました。
真島のホワイトリングでは、「長野オリンピック・パラリンピック開催500日前イベント」が盛大に開催され、2年前のリレハンメル五輪の閉会式で出発したノルウェーの環境使節団が到着し、トロン市長からの環境メッセージを受け取りました。
ボブスレーで初滑り
完成した競技会場のうち、浅川のスパイラルは11月9日に竣工式を行い、ボブスレーの選手でIOC委員でもあるモナコのプリンス、アルベール王子をお招きしました。母上は国際女優として名高いグレース・ケリーさんです。王子は現在、モナコの国王になっておられます。
アルベール王子とはIOCの会議などで何回もお会いし、懇意になっていました。当時は独身でしたので、「長野でフィアンセを見つけますか」などと冗談も言えるようになりました。そこで「スパイラルの竣工式にご招待しますので、初滑りをしませんか」と声を掛けると、王子は「ぜひ呼んでほしい」と言い、カナダでのボブスレーの大会の後、長野を訪れました。
竣工式は、オープニングセレモニーが終わり、初滑りの段になりました。4人乗りのボブスレーで、まずアルベール王子が先頭に乗り込みました。ハンドル操作をするドライバーです。2番手は私で、3番手はNAOC(長野オリンピック組織委員会)の小林實(まこと)事務総長。そして4番手が日本チームのキャプテンでブレーキ役です。
いきなりスタートしたと思ったら猛スピードで走り抜けました。カーブでは体が横になって、怖かったですね。小林さんは「もう二度と乗りたくない」と言っていました。リレハンメルのトロン市長はボブスレーに乗って肋骨を傷めたと聞いており、私は毎日小魚を食べウオーキングをして鍛えていたので無事でした。
スパイラルをはじめエムウェーブなどには、森林再生の権威であられる宮脇昭先生のご指導で、ナラ、ブナ、クリなど、昔から長野にある木を幼苗植栽方式で植えてあります。植樹の際は大勢のボランティアの皆さんが参加され、現在では立派な林となっております。
ボランティアの力
ボランティアといえば、94(平成6)年に長野オリンピックで活躍していただく皆さんを県内はじめ全国から募集したところ、3万2千人もの人たちに登録していただきました。長野パラリンピックのボランティアも2600人が登録され、両大会成功の原動力となりました。
95年1月17日には阪神・淡路大震災が発生。翌日の未明、長野市出身という看護師さんから自宅に電話があり、神戸の労災病院で電気も水道も止まり、大勢の入院患者がピンチなので救援をお願いしたい―という切実な訴えでした。直ちに飲料水と食料を手配して市消防局が救援に出向き、感謝されました。このときも、市内から大勢のボランティアの皆さんが救援に参加されました。
この大震災の際は、世界の五輪関係者やメディアから「長野は大丈夫か」という問い合わせが相次ぎ、対応に追われましたね。
(2014年4月5日号掲載)
=写真=長野市役所を訪れたモナコのアルベール王子