
長野五輪を語るとき、忘れてならないのが小中学生を対象とした「一校一国運動」です。1996(平成8)年には各校の相手国が決まり、市内全小中学校で国際交流がスタートしました。
開催都市決定後、市議会などで「子どもたちを五輪に駆り出すな」という意見が一部にありました。しかし私は、アルベールビル(フランス)やリレハンメル(ノルウェー)の五輪で、大勢の子どもたちが参加して感動を味わっているのを実際に見ていました。
長野五輪でも、21世紀を背負って立つ子どもたちがぜひとも参加してこの感動を味わい、国際交流を実践してほしいと考え、市民合意を得るために市教育委員会に具体的な取り組みをお願いしました。
アジア大会を参考に
市教委は市民代表による検討会を設けて意見集約をしてもらい、一校一国運動の取り組みが始まったのです。
この構想は、94(平成6)年の広島アジア大会を視察した際、「一公民館一国運動」に取り組んでいたのを参考にしました。公民館単位でそれぞれの国を応援しながら、地域住民を中心に公民館で料理を振る舞ったりして親善交流をしていました。
大人たちの活動だったのを、長野では子どもたちの国際交流を主眼に据えたのが特徴です。長野市は十分な予算措置をし、子どもたちの国際交流基金を設置して、国際理解教育として取り組んでもらうよう配慮しました。
IOC(国際オリンピック委員会)もこの取り組みを高く評価してくれ、「ワンスクール・ワンカントリープログラム」として、以後のソルトレークシティー、シドニー五輪にも継承されることになりました。2020年の東京五輪でも引き継がれることになっています。
一校一国運動はボランティア団体の「長野国際親善クラブ」に大変協力していただきました。長野五輪の後も継続的に取り組んでいただき、子どもたちの目を世界に開くのに役立ったと思います。
96年11月には、鉄筋コンクリート木造つり屋根方式の市五輪記念アリーナ、愛称「エムウェーブ」が完成しました。建設の際は、日米の貿易摩擦解消が問題となっており、モンデール駐日大使から市長宛てに米国材も使うようレターがあり、駐日公使が市役所に要請に来たりしました。
池田さんの遺作に
正面玄関前に設置する野外彫刻のモニュメントは、長野高校の先輩で世界的に活躍されておられた版画家の池田満寿夫さんに制作を依頼しました。
その際、池田さんには「世界中から青少年を迎える施設であり、予算は議会の議決も得ているので...」と、暗に作品への配慮をお願いしました。すると、池田さんは「分かりました。つまりエロチカは駄目ということですね」とおっしゃり、大変物分かりの良い方だと思いましたね。
池田さんは後世に残る傑作を造りたい、と創作に励まれました。完成を間近に控え、竣工式の打ち合わせに市長室に来られたときには、「テープカットは妻の佐藤陽子のバイオリン演奏でしたい」と話されていました。
その日を楽しみに迎えたところ、池田さんが急病で来られなくなった―との連絡が入りました。世界から集う人々をイメージしたエムウェーブ玄関の野外彫刻が、池田さんの遺作となったのです。
(2014年4月12日号掲載)
=写真=グルジアの選手と交流(七二会小)