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24 滑降コース問題 ~スタートを引き上げ 特別地域はジャンプ~

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 長野五輪開催を翌年に控え、1997(平成9)年には、課題を先送りしてきた白馬村八方尾根の男子滑降コーススタート地点問題を最終決着させねばならなくなりました。

 この問題でNAOC(長野冬季オリンピック組織委員会)は、当初計画していた標高1680メートル地点がFIS(国際スキー連盟)の基準を満たすので、それで説得する方針でした。

 しかし、「冬季五輪の華」でもある男子滑降はそのころ、より難度の高いコース設定が求められるようになり、FISは標高1800メートル地点への引き上げを求めていました。それが実現できない場合は、海外での実施や、2回滑って合計タイムで競ったらどうか、というような意見まで出ていました。

 FISが疑問視  
 NAOCとしては、1800メートルへの引き上げは国立公園の第1種特別地域にかかるので避けたい、という見解でした。だが、一帯は従来から一般のスキーヤーが滑っており、FISからは「それなのに、なぜいけないのか」という強い疑問が出ていました。

 また、スタート地点は1800メートルにして、特別地域は選手たちがジャンプして飛び越えれば問題ない、という意見も当初からありました。JOC(日本オリンピック委員会)の前会長で全日本スキー連盟会長の堤義明さんは、滑降コースを志賀高原岩菅山から八方尾根に変更したときの方針どおり、ジャンプ方式がいい、という考え方でした。

 97年10月29日、北信越市長会が石川県小松市であり、宿泊していたホテルにNAOCの小林(實)(まこと)事務総長から国際電話がありました。IOCのサマランチ会長を訪ね、FISのホドラー会長を説得してもらうよう頼んだ―という報告です。

 10月31日に再び小林事務総長から電話連絡があり、サマランチ会長とホドラー会長の会談内容の報告を受け、最後まで頑張るよう激励しました。そして11月2日、ホドラー会長から「スタート地点問題の決着は日本国内の調整に任せる」との発表があったのです。

 この問題について私はそんなに心配していなかったのですが、内外の報道が過熱するにつれ、心配する市民の皆さんも大勢いました。

 そのころ、五輪で表彰式会場となるセントラルスクゥエアで「100日前イベント」があり、イメージソング「WAになっておどろう」の発表会がありました。私は皆さんに「大丈夫。安心していただきたい」というメッセージ発信のつもりで、子どもたちと一緒に元気に踊ったものです。
国内調整で決着

 その後、この問題は東京でNAOCの正副会長会議を開き、国内で検討会を設置することで一致しました。そして11月11日、都内のホテルで斎藤英四郎会長、副会長の吉村午良知事、堤全日本スキー連盟会長、古橋広之進JOC会長、長野市長の私、それに小林事務総長、八木祐四郎全日本スキー連盟専務理事の7人で検討会を開きました。

 この席で文部省、環境庁からも参考人として意見を聴き、議論の結果、スタート地点は1800メートルとし、特別地域はジャンプ方式でクリアする、ということで最終的に合意しました。終了後の記者会見では、斎藤会長から「長野五輪を成功させるために大変喜ばしい決着」とのコメントがありました。
(2014年4月26日号掲載)

=写真=滑降コースを調査するFISのアルペン委員ら=1997年11月24日、信濃毎日新聞社提供
 
塚田佐さん