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055 一茶 ~歳月超えた桜の生命の鼓動~

浅ましの老木桜や翌が日に倒るゝまでも花の咲く哉 小林一茶

    ◇

 え? 一茶が和歌を詠んでいた?...、それも俳諧歌だって?。そんな声が聞こえてきそうだ。

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 一茶といえば〈雀の子そこのけそこのけ御馬が通る〉〈痩蛙まけるな一茶是にあり〉といった小さな生き物への情愛こまやかな俳句で親しまれる。ところがいきなり、なじみの薄い俳諧歌では戸惑いを覚えるのも無理はない。

 冒頭の歌には、次のような前書きが付いている。

 或る山寺に うつろ木の一なん有ける。今にも枯るゝばかりなるが さすが春のしるしにや 三ツ四ツふたつ つぼみけるを

 〈ある山寺に幹が空洞になった老木が1本ある。今にも枯れそうなのに春の訪れのしるしとしてわずかにつぼみをつけている〉

 それを見て詠んだのが〈浅ましの...〉の一首だというのである。

 〈意外で驚くばかりの桜の老木だね。明日には枯れて倒れそうなのに、まだ花を咲かせているではないか〉
 枯れる寸前の懸命な姿に感嘆しつつも、老いの一徹ぶりを半ばからかい気味に眺めるところが、俳諧歌たるゆえんだろう。老境を自覚し始めた一茶が、自らを奮い立たせる心意気とも受け取れる。

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 「俳諧歌」とは、こっけい味を帯びた和歌のことだ。万葉集には「戯笑歌」として、既にその流れが芽生えていた。平安時代の古今集に初めて「俳諧歌」が登場。江戸時代に花開く連歌、俳諧、狂歌などの源流を成すといってもよい。

 一茶が2万句に近い俳句を残す一方、俳諧歌も数多く詠んだことは、あまり知られていない。老木桜の一首には人生の哀愁までにじみ出ており、味わい深い。もっともっと関心が高まってほしい。

 老木桜がどこの山寺のものか、特定されてはいない。まざまざとさせる古木はないか、出合いを求めて一茶のふるさと上水内郡信濃町に足を運んだ。

 行き着いたのが平岡原の閑貞桜である。かつては県の天然記念物に指定されたシダレザクラだけれども、今は枯れた太い幹が彫像のように残るのみだ。

 一茶の生母の実家があった仁之倉に近く、一茶は数え52歳で結婚した文化11(1814)年の春、ここへ花見に訪れている。その折の1句〈山桜 花の主や 石佛〉が碑に刻まれ、200年前の花盛りの面影へといざなってくれた。

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 その時だ。近所の男性がやって来て枯死した桜の根元を指差す。枯れ木に寄り添って若木が伸び、3メートルほどの高さに育っている。昨春は花も咲かせたそうだ。驚くではないか。閑貞桜は枯れ果ててなお、次の世代を送り出したのだ。

 その生命力のたくましさは、まさに感動というほかない。厚い残雪の下に桜の命の鼓動が脈打っていた。

〔古今集の俳諧歌〕巻十九の部立て「雑体」の一つとして「俳諧歌」が収められている。内容や言葉に笑いを伴う歌であり、全部で58首を数える。その多くを恋歌が占めている。
(2014年3月29日号掲載)

=写真1=枯れて幹だけとなった閑貞桜
=写真2=小林一茶の句碑
 
愛と感動の信濃路詩紀行