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83 共働学舎・宮島真一郎さん(下)

 人里から遠く離れた地域(集落)を、仙境の地だ、桃源郷だと言い、過疎地、陸の孤島などと呼ぶ。さらには「あの山奥」と言い、声をひそめて「よくもまあ、あんなところに住んだもんだ」と言い、果ては「限界集落」などと、情け容赦もない言葉が続く。「オラ方は限界集落だってさ」と、自嘲めいてつぶやく声もあったりする。

 遥かなる真木
 そんな陸の孤島を活動拠点とし、生活舞台としているのが共働学舎だ。JR大糸線の南小谷駅から300メートルほど車道を歩いて、すぐ歩くだけの山道となる。真木(まき)へは山に上り谷に下り、幾山並みのかなたに、遥かなだけである。海抜約900メートル、冬は丈余の雪の地帯だ。

 本当に人家があるのかと、1時間余歩き続けてきたとき、突如、緩やかに開けた斜面に12戸の母屋と土蔵と物置とが、一群をなして見えてくる。茅葺きのがっしりした家ばかりで、実に堂々たる集落の構えだ。

 集落の入り口には江戸末期の高僧、徳本上人の南無阿弥陀仏の名号碑が立っている。静かといえばこれほど静かな所はない。あるのはまさに渓声山色のみだ。共働学舎を開設した宮島真一郎さんは、信州の小谷と北海道のこうした自然豊かな山村、敢(あ)えて不便の地を選び、自労自治を生活規範として、約130人の学舎生と暮らす。

 農業と手作業を中核として
 田植えも稲刈りも畑も、万能や鍬、鎌など昔ながらの伝統具を身近な道具として、努めて手を使い、足を使っての作業を大事にしている。牛・山羊・鶏などの動物飼育、パン作り、織物、木工も行っている。

 11月23日には恒例の収穫感謝祭を行う。自分たちの手作り作品を生かし、テーブルにはその手料理が並ぶ。学舎生の家族、共働学舎に理解のある人たち、友の会など、大勢の人たちが招待される。それぞれの作業分担者が作業工程、収穫量などの資料を提示。一覧して報告会を行う。大きな拍手のなかで発表者たちは緊張し、紅潮し、励まされる。
ランプ、沢水の暮らし、種をまくから40年

 昭和49(1974)年、小谷村の山間に宮島さんが、大地に鍬を振り下ろしてから40年がたった。電気はなくてランプ、水道もなく沢水を引いての生活から始まった。それが「競争社会ではなく、協力社会」を目指す第一歩だった。傷んだ茅葺き屋根を葺き替える技術者も育った。

 少年少女の勤労合宿、大学生の教育実習、国際ワーキングキャンプなど、若い人たちが大勢来てくれる。囲炉裏を囲んでの談笑がある。陸の孤島に時ならぬ賑わいがあるのだ。

 自分の責任ではない重荷を負う運命の人が諦めないで、自分の人生に責任を持って生きる心を持つようになるために...。そんな人たちが集ってきてくれる。

 宮島さんは満91歳となり失明しても「目が見えなくてもできるんだよ」と、綿の種取りをしたり、時には愛用のハーモニカで賛美歌を吹いたりしている。
(2014年4月19日号掲載)
 
美しい晩年